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江戸の疫癘防除~疫神社の謎㉒~

疫病を”通せんぼ”していた道祖神「塞ノ神」とは?

守り神として辻や境に祀られる道祖神の別な呼び方「塞ノ神」

守り神として力強く美しい調布市山野庚申塚 写真/稲生達朗

 北多摩の地で、疫神を祓うための火焚きが為されていたかどうか、それはわからない。けれど「もしかしたら、そんな火焚きの残滓(ざんし)なのかもしれない」とおもわせる記述は『調布市史民俗編』や『調布市百年史』などを紐解けば見つけることができる。

 

『小正月のセイノカミという行事がある。セイノカミはどんど焼きともいわれていたもので(略)稲わらや松飾り、神札や注連飾り(しめかざり)、ダルマ、書き初め等を集め、山のように積み重ねて(略)燃やすというものである。いわば、火祭りであった』

 

 令和の今になっても、調布にかぎらず多摩のあちこちではどんど焼きが行われている。

 

 そうしたことからすれば、火祭りは、近代から現代にかけてまちがいなく行われ続けているわけだけれども、どんど焼きは年の初めの行事で、たしかに厄祓いではあるものの、疫病に特化しているというわけではない。

 

 ちなみに、セイノカミというのは、サイノカミとかサエノカミとかいった表記もあって、漢字で書けば、塞ノ神となる。けれど、この「塞」は、ほかにもいろんな漢字が当てられていて「賽、障、斎、幸、妻、性」などがある。村の守り神として、辻や境に祀られる道祖神の別な呼び方のひとつだ。

 

 この国では、塞ノ神のほかにも、岐(くなど)の神、辻の神、峠の神、巷(ちまた)の神などといった道祖神が祀られている。どれも道に関わる庶民信仰の神の名で、つまり、悪いものが村へ入って来ないように塞き止める、あるいは塞ぎ止めるといった意味から、塞ノ神と呼ばれて祀られるようになったとおもえばいい。

 

 興味深いのは、この塞ぐという意味から、子供らの通せんぼ遊びになっていることだ。

 

『セイノカミの行事に子供が果たす役割は大きいものであった。わらや竹、松飾りなどを前もって貰い集めるのはその集落の子供たちであり(略)このころになると〝セイノカミのわらくんない、セイノカミの餅くんない〟などと囃したて(略)道々に縄を張って通せんぼをし〝セイノカミのオンベラボウ、鍋に糞をしり込んで、オタマでケツ叩いた〟などと騒ぎながら、道行く人から〝通行料だ〟などといって、金を取り立て(略)若い衆に建ててもらった小屋に入り、そこで火を焚いて汁粉や甘酒を作ったり、貰った餅を焼いて食べたり(略)握り飯をほおばるなどしながら、一晩中はしゃいで過ごした』

 

 なんだかよくわからない呪文のような囃(はや)し言葉だけど、そこで口にされるオンベラボウというのは、どんど焼きの行われる日まで火焚きの場に立てられている竹飾りをいう。太くて長い竹に弓矢と五色の幣束(へいそく)を括りつけたもので、四方に幣束の下げられた荒縄を張って固定する。

 

 まあ、案山子の大きなものに見えなくもないが、どんど焼きの際に共に燃やされる。

 

 矢の向けられているのは鬼門で、ときには天辺に赤い達磨が乗せられている。この赤達磨は、多摩の他の地域でも、オンベラボウを真ん中にしたセイノカミとされる燃やされる品々の周りを守るように円状に並べられたりもする。

 

 また、積み上げられたセイノカミの中には、オコヤと呼ばれる稲わらと松が枝と杉の葉で作られた道祖神の祠が祀られていたりもする。

 

 もちろん、すべて、火に焼べられる。

 

 そのあたりのことは、多摩くらしの調査団という人達の民俗調査報告書『多摩市馬引沢のサイノカミ行事』に詳しい。ただ、この報告書で、オンベラボウについては、多摩市だけでなく稲城市の事例にも触れているから、北多摩から西多摩、南多摩といった村々は周りの地域も含めて、ほぼ共通した民俗性を持ち続けてきたことがわかる。

 

 小難しい話はさておき、当時の多摩の子供は、そうした年中行事に参加している内に、知らず知らず村の催事記を学んでいったんだろう。また同時に、暮らしの真ん中になっているものもまた学んでいったんだろう。真ん中になっているのは、そう、マユだ。

 

養蚕農家で繭が無事仕切ることを願った縁起物・厄除け「ダルマ」

 

『いずれにしても、これを燃やす火にあたると、その年病気にかからない、健康でいられるなどというのはどこでも同じで(略)マユダマを持ってきて、その火の勢いも弱まる頃合を見計らって焼いて食べもした』

 

 マユダマというのは、蚕の繭に似せた餅や粳米の団子を木の枝に刺して飾り付けたもので、繭団子ともいう。小正月の飾り物で、オンベラボウと共に焚かれる。大切なのはそのマユで、これは多摩のおちこちに養蚕業が広がっていた証となるんだろう。いや、マユダマだけでなく、ダルマもまたそうだ。

 

新潟の栃尾又では賽の神(どんど焼き)に焚くこともあるダルマ

『そもそもダルマは、養蚕農家で繭が無事仕切ることを願った縁起物・厄除けとして、春市の主流をなしてきた(略)戦前まで深大寺に並ぶダルマはすべて多摩ダルマであった。鼻が高くて顔の彫りが深く、面相にはめでたい鶴亀をあらわしている、というのが多摩ダルマの特徴である』

 

 まあ、マユダマやダルマについてはちょっと擱いて、ともかく、北多摩のそこかしこに火祭りが存在してきたことはおぼろげにわかってきた。こうなってくれば、ぼくが知りたい「その火祭りの中に、疫神に絡んだ神事はなかったんだろうか」ということに焦点を絞っていくしかない。

 

(次回に続く)

 

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秋月達郎あきづき たつろう

作家。歴史小説をはじめ、探偵小説から幻想小説と分野は多岐にわたる。主な作品に『信長海王伝』シリーズ(歴史群像新書)、『京都丸竹夷殺人物語: 民俗学者 竹之内春彦の事件簿』(新潮文庫)、『真田幸村の生涯』(PHP研究所)、『海の翼』(新人物文庫)、『マルタの碑―日本海軍地中海を制す』(祥伝社文庫)など

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