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江戸の疫癘防除(えきれいぼうじょ)~疫神社の謎⑰~

一富士、二鷹、三茄子と、尊ばれる冨士山と富士講のオタキアゲ

冨士講と富士吉田の火祭り

「大願成就」が果たされたとする柴崎稲荷の講中の石碑(左)写真/稲生達朗

 柴崎の講中の石碑には、いちばん左の『大願成就』は、かたわらに大先達とあり、その下に名前も彫られているから、冨士講の登拝記念碑だろう。

 

 江戸時代、冨士講は、富士山を神霊と仰ぐ講で、富士山に登拝するのが大きな眼目になるんだけど、皆が皆、遙か富嶽に臨めるわけじゃない。そこで、その信仰の拠り所として、地元の社寺の境内に富士山に見立てた富士塚を築き、そこに登拝する。

 

 ただし、冨士講の講員すべてが胎内くぐりや冨士垢離(ふじごり)と呼ばれる水行などをするのかといえばそうでもなく、あくまでも修験の道を究めんとする講元や講員が富士五湖や富士八海などを巡礼してゆく。

 

 冨士講のいちばん大きな特徴は、

 

 ――オタキアゲ。

 

 と呼ばれる行事が存在していることだ。

 

 吉田の火祭りと通称される鎮火大祭を頂点とするもので、普段はおのおの地域ごとに講員らが火焚きを行なう。おのおの、鉢巻、筒袖(つつそで)、山袴(やまばかま)、梵天(ぼんてn)、手甲(てっこう)、脚絆(きゃはん)、足袋といった白装束で、こんもりと持った粗塩の上に富士山に見立てた線香を組み上げ、それに火をつけて焚き上げながら経典を勤行(ごんぎょう)してゆくんだけど、この講は現在もなお富士吉田の地を臍(へそ)に勢威を保っている。

 

どんど焼きでは1月14日の夜または1月15日の朝、刈り取り跡の残る田などに長い竹を3、4本組み、その年飾った門松や注連飾り、書き初めで書いた物を持ち寄って焼く

(なんにしても、柴崎の講中はずいぶんしっかりと根を張っていたってことか)

 

 妙に感心しながら、ぼくは、摂社をふりかえった。

 

 社殿は、鳥居をくぐった先のがっちりした基壇の上に建立されている。ただ、柏手を打とうとしたとき、ぼくの眼は虚空をさまよった。

 

(……社の名が、どこにもない)

 

 こんなことは、始めてだ。これまで、どこの摂社や末社にお詣りしても、かならず、社名が掲げられていた。ときには鳥居に扁額(へんがく)として掲げられ、ときには簡素な立て札で銘文が記されていた。ところが、ここにはなにもなかった。

 

(これじゃあ、疱瘡神社かどうかもわからないじゃないか……)

 

 腋(わき)の下を、冷や汗が伝い落ちていく。木漏れ日の中で何かの音だけが搖(ゆ)れていた。

疱瘡神社かどうか一見ではわからない柴崎稲荷 写真/稲生達朗

(次回に続く)

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秋月達郎あきづき たつろう

作家。歴史小説をはじめ、探偵小説から幻想小説と分野は多岐にわたる。主な作品に『信長海王伝』シリーズ(歴史群像新書)、『京都丸竹夷殺人物語: 民俗学者 竹之内春彦の事件簿』(新潮文庫)、『真田幸村の生涯』(PHP研究所)、『海の翼』(新人物文庫)、『マルタの碑―日本海軍地中海を制す』(祥伝社文庫)など

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