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江戸の疫癘防除~疫神社の謎⑭~

合祀された國領神社の「カサモリ稲荷」は笠森か?

「カナモリ」と「カサモリ」そして南蛮瘡などと呼ばれた梅毒

 

石祠が肩を寄せ合うようにして並ぶ國領神社のカサモリ稲荷 写真/稲生達朗撮影

 正面の唐破風(からはふ)は微妙にかたちが違うものの、木造りの両開き扉も丁寧に作り込まれている。どうやら、向かって左の石祠が「カサモリ稲荷」と呼ばれているようだ。漢字でどのように記すかは、伝えられていないらしい。

 

(たぶん、瘡守って書くんじゃないかな)

 

 安土桃山の頃より、唐瘡(とうそう)あるいは南蛮瘡(なんばんそう)などと呼ばれる疫病があった。のちに梅毒と呼ばれるようになる伝染病で、日本人の多くが苦しめられた。その瘡が癒えるように祈ったものが瘡守(かさもり)神社とされるんだけど、瘡はもちろん疱瘡(ほうそう)にも通じる。

 

 ただし、カサモリはもともと摂津国高槻に居ます笠森神社の音韻で、笠森が瘡守の訓読と同じことから瘡の病に霊験あらたかであるとされ、江戸市中をはじめ全国に勧請(かんじょう)された。天然痘に苦しめられた国領(こくりょう)宿の人々も、大坂から勧請したんだろう。

 

 ところが、台座に刻まれた銘を見ると、明治45年とある。だとすれば、種痘(しゅとう)が施されるようになっても、多摩のあたりではまだまだ疱瘡は猛威をふるっていたということなんだろうか。第六天(だいろくてん)社の遷移に従って現在地に安住を得たんだろうけど、たしかなことはわからない。

 

(なんにしても、明治維新から半世紀も経ってる。ほかの疱瘡神社とは時代がちがう)

 

 ぼくは、がっくりと肩を落とした。

 

カサモリ=笠森と疱瘡神から村人を守るための火

 

 ときおり、頭の中で考えている物語や随筆が徐々に発酵してくるのを感じることがある。

 

 その時間は個人的には密やかで愉しいものではあるけれど、そうした愉しさに浸っているぼくを傍から見れば、おそらくかなり薄気味の悪いものにちがいない。電車に揺られながらこの随筆とも記録ともつかない文章について考えていたときも、そうだった。

 

(北多摩に七つ星に見立てた疱瘡神社が置かれていたなんて、ありえない話なのかな?)

 

 その日、ぼくは信濃町に用事があって、帰路、ひとまず総武線に乗り込んで三鷹まで戻ろうとしていた。ふと、気がつくと、東中野だった。折り返し点の三鷹までは、七つの駅がある。まだしばらく余裕があるなとおもって、ふたたび思考の沼に浸かることにした。

 

 ぼんやりとした、いや、弛緩した時が過ぎて、我に返って顔をあげたら、またもや東中野だった。まさかたった数秒しか経ってなかったんだろうかと訝(いぶか)しんだら、電車がいきなり帰る方向とは逆に走り出し、大久保へ向かい出した。

 

(えっ)

 

 どうやら、ぼくは三鷹で降りずに、そのまま折り返し、東中野まで戻ってきてしまったらしい。七つの駅を通り過ごし、折り返しの駅でしばらく停まり、さらにまた七つの駅をひきかえしても尚、気がつかずにいたなんて、まったく信じられなかった。

 

 ぼくは、大久保のホームに降り、茫然とした。

 

(こりゃあ、だめだ)

 

 ほんとうに馬鹿だと、立ちのぼる陽炎を眺めながらつくづくおもった。

 

 こんなぽんこつが北多摩に点在する疱瘡社を調べたところで、なにか得なことでもあるんだろうか。小説を書くための取材というわけでもないし、いや、そもそも、物語の着想にすらならないような単なる好奇心のかけらでしかない。なのに、どうしようもないくらい、ずぶずぶと猟奇の泥沼に踏み込んでしまっている。

 

(もう、疱瘡神社を探していくしかないじゃないか)

 

 けれど、それと同時に、別な〝ぼく〟が冷ややかに告げてくる。

 

〝あのさあ、七つの疱瘡神社を見つけて、北斗七星のとおりに配置されていたとしても、それがいったいなんになるっていうんだよ。星座どおりに社を並べたって疱瘡神は喜びやしないし、もちろん、天然痘が終熄するわけでもないだろう〟

 

(そりゃそうかもしれないけどさ……)

 

 と、ぼくは、もうひとりの〝ぼく〟に弱々しく反論した。

 

〝だったら、無駄じゃん。そんな苦労をわざわざしようとかっていう物好きな村人がいたとはおもえないじゃないか。いや、百歩譲って本当に配列どおりに疱瘡神社が七つ据えられたとして、それでどうしたっていうんだ。七社が揃って祭とかするわけでもないだろう。だいたい、誰がそんな配列に気づくんだよ〟

 

 それは、そのとおりだ。

 

 北斗七星のままに疱瘡神社が安置されても、それがなんなんだ。

 

〝わかるだろ。なんにもなりゃしないんだよ。だいいち、天然痘でどんどんと村人が死んでいくんだ。星座だなんだっていってる閑なんかないんだ。境内にはつぎつぎに死人が運び込まれる。早く荼毘(だび)に伏して始末しないといけない。火葬するのもひと苦労なんだよ〟

 

 そんなふうに〝ぼく〟に追い込まれたとき、瞼の裏にふわっと炎が映えた。

 

(荼毘の火?)

 

 ちがう。火葬じゃない。だったら、なんだ。護摩焚きか、左義長(さぎちょう)か、それとも盂蘭盆(うらぼん)の送り火か。密教か、修験道か、あるいは民間の神事か、いずれにせよ、そうした霊的なものが色濃く関わった火焚きの類いだ。

 

どんど焼きとも呼ばれる小正月に行われる火祭りの行事・左義長

(そうか)

 

 疱瘡神を火に焼べてしまえば、焼き尽くしてしまえば、浄化させられる。

 

(だから、篝火を焚いたんだ)

 

 静謐(せいひつ)に包まれた漆闇(しつあん)に、ひとつまたひとつと松明(たいまつ)が灯され、祈りを籠めた護摩木の井桁(いげた)とそれを覆う杉の若葉に火がつけられる。熾(おこ)された火は次第に大きな炎となり、天を焦がさんばかりに猛り、境内の木々を照らし、社殿を浮かび上がらせる。

 

 より大きく、より美しく、より見事に育ってゆく火焔(かえん)は、闇に閉ざされた村をこうこうと照らし、おちこちの田畑や川端からも望まれるようになる。あちらにそちらにあかあかと照らし出された社殿が望まれ、やがてその祀り火は七つを数える。

 

(疱瘡神から村人を守るための火だ)

 

(次回に続く)

 

 

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秋月達郎あきづき たつろう

作家。歴史小説をはじめ、探偵小説から幻想小説と分野は多岐にわたる。主な作品に『信長海王伝』シリーズ(歴史群像新書)、『京都丸竹夷殺人物語: 民俗学者 竹之内春彦の事件簿』(新潮文庫)、『真田幸村の生涯』(PHP研究所)、『海の翼』(新人物文庫)、『マルタの碑―日本海軍地中海を制す』(祥伝社文庫)など

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