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江戸の疫癘防除(えきれいぼうじょ)~疫神社の謎⑬~

信長がみずからをなぞらえていた第六天魔王が出現⁉

フロイスの書簡に見られる第六天魔王は秀吉によって廃される

屋根の上に棟に直角になる鰹木(かつおぎ)が美しい國領神社の本殿(東京都調布市) 写真/稲生達朗撮影

 国領(こくりょう)神社には予想したような疱瘡(ほうそう)神社はなかった。

 

(そんなにうまく運ぶわけないか……)

 

 ちょっぴり昂揚して、なんだが不思議な世界に足を踏み入れたような気になっていたんだけど、頭から冷や水を浴びせられたような気分だ。

 

 ただ、聞くところによると、國領神社もまた布多天神(ふだてんじん)用に遷座したという。

 

 古代の多摩川の流域には縄文遺跡が点在しているんだけど、そのひとつに杉森という地名のつけられた遺跡がある。どうやらそのあたりに古(いにしえ)えの國領神社があったらしい。

 

 興味をそそられたのは、その昔の名称だ。

 

(第六天社?)

 

 まさかと、おもいがけない出会いに驚いた。

 

 第六天社といえば、第六天魔王(他化自在天・たけじざいてん)を祀る社として創建されたもので、他の地域では第六天神社とも呼ばれている。第六天魔王といえば、織田信長がみずからをなぞらえていたものとして知られる。イエズス会の宣教師ルイス・フロイスの書簡に見られるからだ。

 

 現代でも、第六天神社は、武蔵国を臍(へそ)にして東日本に点在している。西日本にないのは、どんな理由があったのか、秀吉によってすべて廃(はい)されたからだともいう。ただ、このすこしばかり風変わりな神社については疱瘡神社とは関係がないため、ここでは触れない。

 

 ともかく、話は戻って――。

 

 その国領宿における第六天社は幾たびか遷座させられ、現在の地に遷(うつ)されたのは昭和も中頃のようだ。そのとき、現在地にあった八雲神明社と合祀(ごうし)されたらしい。

 

 八雲神明社も元をただせば、第六天社とおなじく多摩川に近い杉森あたりにあったそうだ。当時は杉森神明社と呼ばれ、別当を務めていたのは調布の不動尊として今もある真言宗豊山(ぶざん)派の医王山(いおうぜん)長楽院常性寺(じょうしょうじ)だという。

 

 関ヶ原の戦いのあった慶長の頃、常性寺は甲州街道沿いに移転したらしいが、杉森神明社もそれにともなって現在地へ遷されたという。

 

(なるほど。その遷座の際、藤が植えられたんだな)

 

 この流転をくりかえした数奇な二社(第六天社と八雲神明社)が國領神社と名乗るようになったのは、明治2年のことらしい。

 

 由緒についてはそれくらいにして、本堂の横手へ廻ったとき、興味深いものを見つけた。祠(ほこら)だ。石造りの鳥居を3つくぐった先にある末社で、しっかりした礎石(そせき)の上に入母屋破風(いりもやはふ)の石祠(せきし)が肩を寄せ合うようにして並んでいた。

 

石祠が肩を寄せ合うようにして並ぶ國領神社のカナモリ稲荷 写真/稲生達朗撮影

(次回に続く)

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秋月達郎あきづき たつろう

作家。歴史小説をはじめ、探偵小説から幻想小説と分野は多岐にわたる。主な作品に『信長海王伝』シリーズ(歴史群像新書)、『京都丸竹夷殺人物語: 民俗学者 竹之内春彦の事件簿』(新潮文庫)、『真田幸村の生涯』(PHP研究所)、『海の翼』(新人物文庫)、『マルタの碑―日本海軍地中海を制す』(祥伝社文庫)など

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