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江戸の疫癘防除(えきれいぼうじょ)~疫神社の謎⑯~

庚申塔や月待講の講集団が願ったものとは何か

野川が削った河川段丘のきわ、緩やかな参道の上にある柴崎稲荷

柴崎神社参道入口(調布市) 写真/稲生達朗

 布多天(ふだてん)神社の東方、武蔵野八幡宮の南方に、稲荷社は置かれてないだろうか。

 

 そう頭をひねったとき、ひとつの社が瞼の裏に蘇ってきた。

 

(あ、柴崎稲荷か)

 

 新入社員だった頃、京王線の柴崎駅に降りた。

 

 東映化工で研修があったからだけど、実はその前から柴崎には土地勘があった。

 

 大学時代、大映で助監督をしていたということは最初に触れたけど、編集の際、ニュースやドキュメンタリのフィルムを使いたいときなど、その抜き出しや焼き直しの作業は東映化工まで出向いていたからだ。

 

(行くか、柴崎まで)

 

 ただし、柴崎稲荷は、東映化工とは駅を挟んで反対側にあり、富士フィルムの旧現像所の裏手にある。多摩川が穿(うが)ち、野川が削った河川段丘のきわ、現在では暗渠(あんきょ)となった環濠(かんごう)に護られ、緩やかな参道の上に鎮座している。

 

 むくむくと湧き上がる入道雲の真下を、蝉の大合唱に包まれながら辿り着いた。噎せかえるような暑熱と陽炎の中で、ふうっと息をついたときには、うなじから腋の下から背中から汗が噴き出していた。

 

(あってくれよ、疱瘡神社。なかったら、なにもかもが水の泡なんだからな)

 

 石の鳥居をくぐって石段の下から社殿を見上げると、なるほど、地の利のあるところに建っているのがよくわかる。手水舎を右手に眺めながら石段を登りつめ、ふと来し方を振り返ったとき、たぶん、豪族の舘の跡なんだろうなとおもった。現在でこそ木立ちや建築物に遮られているけれど、往時は多摩川や野川を見遙かすには最適な場所だったろう。

 

(ここだったら、あるはずだ。疱瘡神社が)

河川段丘のきわにある柴崎神社(調布市) 写真/稲生達朗

 そんな期待を抱きながら、ぼくは本殿にお詣りし、右手の奥にちらりと見えた摂社へと急いだ。ふと、石の鳥居の手前、右側の段丘のきわに三つ、石碑の建っているのが目に留まった。藪蚊にたかられながらカメラを向けると、ファインダーの中に『三夜塔』『猿田彦大神』『大願成就』の文字がくっきりと浮かんでいる。

 

(講かな)

 

三夜塔(右)、猿田彦大神(中)、大願成就の講集団により残された石碑 写真/稲生達朗

 いちばん右の小ぢんまりした『三夜塔』は、月待塔(つきまちとうだろう。

 

 三夜待(さんやまち)というのは、月待ち信仰の行事をいう。

 

 毎月あるいは奇数月の二十三夜の月の出を待ち、寺の境内の籠もり堂に軸に描かれた勢至菩薩(せいしぼさつ)、月読尊(つくよみのみこと)、三夜様などを祀り、講中の村人が酒肴を持ち寄って念仏を唱え、歌い踊り、餅を搗(つ)き、悪霊の退散を願うものとされる。

 

 こうした信仰は月待講といって、行事は二十三夜待と呼ぶのが一般的なんだけど、三夜待とか三夜供養とかいって「二十」を省くこともままある。この柴崎もそうした省略形で呼んでいたようで、塔の表も文字のみという極めて簡素なものだ。

 

(へえ~)

 

 ほんの一瞬、こうおもった。

 

(月待塔って、お寺じゃなくて、お稲荷さんの境内にも建てられるんだぁ)

三夜塔 写真/稲生達朗

酒盛りをして徹夜する庚申待に

 

 真ん中の『猿田彦大神』は、庚申待をする講の碑だろう。

 

 庚申待(こうしんまち)について、少しだけ触れておく。

 

 人の体内には、彭侯子(ほうこうし)、彭常子(ほうじょうし)、命児子(めいじし)という三匹の虫がいて、それぞれ、上尸(じょうし)、中尸(ちゅうし)、下尸(げし)と呼ばれている。つまり三尸(さんし)の虫なんだけど、こいつらが、いつもその宿主の行動を見張っている。それで、庚申(こうしん)の日が来るとこっそりと身体から抜け出し、宿主の行っていた悪事を天帝に報せる。

 

 この罪過が重ければ重いほど宿主の寿命は短くされ、地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕とされる。そんなことをされては、たまらない。そこで、六十日に一度めぐってくる庚申の夜は、村人たちが寄り集い、三尸の虫が身体から這い出さないように酒盛りをして徹夜する。これが庚申待の行事で、三年間に十八回くりかえすこととされている。

 

 その達成の記念に建てられるのが、庚申塔だ。塔に祀られるのは、仏教では夜叉神(やしゃじん)すなわち青面金剛(しょうめんこんごう)明王で、神道では猿田彦神(さるたひこのかみ)とされている。守り本尊と守り神といったところで、こちら柴崎稲荷では後者だ。

 


「庚申待」達成を記念に建てられた猿田彦神社 写真/稲生達朗

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秋月達郎あきづき たつろう

作家。歴史小説をはじめ、探偵小説から幻想小説と分野は多岐にわたる。主な作品に『信長海王伝』シリーズ(歴史群像新書)、『京都丸竹夷殺人物語: 民俗学者 竹之内春彦の事件簿』(新潮文庫)、『真田幸村の生涯』(PHP研究所)、『海の翼』(新人物文庫)、『マルタの碑―日本海軍地中海を制す』(祥伝社文庫)など

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