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江戸の疫癘防除~疫神社の謎⑲~

柴崎三界寺は、羽黒派古修験道の山伏の拠点だった⁉

神仏習合の神=権現と、羽黒・湯殿・月山の三所権現

修験道の山々の地名が記載された羽黒派修験道の碑。下段左から3つ目に三峯社の名も見える。写真/稲生達朗

 羽黒(はぐろ)派という修験道は出羽国(でわのくに)羽黒山の山岳信仰で、古くより羽黒権現(はぐろごんげん)を崇めた。

 

 権現はつまり神仏習合の神で、ここにおいては羽黒山大権現と呼ばれる。

 

 かつて、羽黒山の山頂には、その名のとおり羽黒山寂光寺という大寺院が置かれ、月山大権現と湯殿山大権現を勧請して羽黒三山の本地仏を安置する大堂(金堂)が建てられ、東国三十三ヶ国総鎮守とされ、東北地方や関東地方に作られた霞場(かすみば)講の信徒たちが蟻のように参詣していた。

 

 だけど、明治維新が成って神仏分離と廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の嵐が吹き荒れた結果、ほかの修験道と同じく廃された。

 

 ただし、廃されたのは本尊の羽黒権現だけで、羽黒派古修験道は潰滅(かいめつ)をなんとか免れ、その後身は現代でも羽黒山修験本宗として存続し、独自の修行も継続されている。ぼくは知らなかったんだけど、当山とは別に、羽黒権現を祀る寺院も存在しているそうだ。

 

(つまり、柴崎の三界寺には、出羽三山の三所権現が勧請されていたってことか)

 

天平時代の疫病がらみだった三峯社の造営

 

 もうひとつの三峯社というのは、秩父の三峯神社の古くからの呼び方だろう。

 

 三峯神社の由緒は、とてつもなく古い。

 

 景行(けいこう)天皇の御世、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の際に白き狼に案内されてこの地に至り、伊弉諾尊(いざなみのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)を祀ったのが始まりとされるから、相当なものだ。ちなみに、三峯大明神という神号も賜わってるんだけど、それは聖武(しょうむ)天皇によるもので、ちょうど国中に疫病が蔓延して、その平癒を祈った折のことらしい。

 

(そうか、三峯神社も、天平の疫病がらみだったのか)

 

 この三峯山が修験の道場とされたのは、役小角が修行をしたり、空海が観音像を安置したりしたことによる。三峯大権現と呼ばれるようになったのはそれからさらに時が下った江戸時代の初め頃からで、京の聖護院門跡より賜ったらしい。天文年間のことだったようで、以来、聖護院派天台修験の関東総本山とされている。

 

(となると、江戸時代、この三界寺はまさしく山伏の拠点のひとつだったんじゃないか)

 

 途端に、中央線で乗り過ごしたときの感覚が甦ってきた。

 

(火焚き神事……)

火焚きされる戒名が書かれた板塔婆。信士(しんじ)とは、仏教の戒名(法号)に用いられる称号で、地位や性格を表す位号。女性の場合は信女(しんにょ)とされる。

(次回に続く)

 

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過去記事

秋月達郎あきづき たつろう

作家。歴史小説をはじめ、探偵小説から幻想小説と分野は多岐にわたる。主な作品に『信長海王伝』シリーズ(歴史群像新書)、『京都丸竹夷殺人物語: 民俗学者 竹之内春彦の事件簿』(新潮文庫)、『真田幸村の生涯』(PHP研究所)、『海の翼』(新人物文庫)、『マルタの碑―日本海軍地中海を制す』(祥伝社文庫)など

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