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すべてが祭祀具なのか?~子供が遊んだおもちゃが紛れ込んでいるかも

[入門]古墳と文献史学から読み解く!大王・豪族の古代史 #019

縄文人が子供のために作ってやった「ままごと用土器」⁉

三内丸山遺跡の縄文タワー 写真/柏木宏之

 古代の人は現代人よりも神を信じ、祭祀を欠かさなかった、とは思います。

 

 そうは思いますが、出土したものを何でもかんでも実用具、もしくは祭祀の跡、祭祀具だろう、というのもいかがなものか?と感じることがあります。

 

 例えば、縄文時代にも弥生時代にもミニチュアの土器があったりします。

 

 もちろん、埋葬祭祀の時や、神に捧げる供物のために作られたものもあるでしょう。現代でもひな祭りのお道具には本物と同じレベルで作られた小さな食器などがありますね。小さな女の子が、お雛祭りのお道具でおままごとをしたりもします。高価な品ですから親はハラハラしますが、上手に遊んでいます。

 

 私は、縄文人が子供のために作ってあげた「ままごと用土器」もあるのではないか?と考えています。

 

 弥生時代は稲作で忙しくなって、日用品はシンプルになりますが、縄文時代の温暖期はずいぶんゆとりのある暮らしをしていたのだろうと思っています。

 

 だからこそ火焔(かえん)土器などの複雑で芸術性の高いものが作られたに違いないと思います。

 

 はるかかなたの縄文人が残した土器などを見ていると、当時の祖先たちの感情や脳力が現代人に劣っているとはとても思えません。親は子を可愛がり、子は親を大切にして暮らしてきたことでしょう。

 

 そうであれば、子供におもちゃを作ってあげたに違いないとも想像をしてしまいます。

 

 人そのものは現代の私たちとなにも変わらない人たちだったと考えていただきたいのです。

 

縄文時代の温暖期はゆとりのある暮らしをしていたのではないか?

 

 かつて定住生活を始めて、村をつくり社会制度を築いて発展してきた私たちの祖先は、食料を増産して貯蔵し、寒さを防いで家族を守り、子供を育てて死んでいったのです。

 

 家族や村人はその死を悼み、死後世界を想像し、埋葬祭祀を仏教伝来以前から執り行ってきたのです。

 

 発掘によって現代によみがえる文化財は、当時の人々がどういう暮らしをしていたのかを教えてくれます。

 

 しかし考えてみれば、先祖から受け継いだ命を以て今を生きる私たち自身こそ、本物の生きた文化財だともいえますね。

 

 古代人が神を恐れて頻繁に祭祀を行ったことは事実でしょう。しかし、発掘された土器の中に、かわいい子供が遊んだおもちゃが紛れ込んでいるかもしれない。そう考えると当時の暮らしを自分なりに再現できるのではないでしょうか?

 

 はるか昔のご先祖たちが家族仲良く暮らした情景を、ミニチュア土器から想像してみるのも良いのではないでしょうか? 当時の人たちが身近に感じられると思いますよ!

大阪市阿倍野区民会館展示の土器類 写真/柏木宏之

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柏木 宏之(かしわぎ ひろゆき)
柏木 宏之かしわぎ ひろゆき

1958年生まれ。関西外国語大学スペイン語学科卒業。1983年から2023年まで放送アナウンサー、ニュース、演芸、バラエティ、情報、ワイドショー、ラジオパーソナリティ、歴史番組を数多く担当。現在はフリーアナウンサーと同時に武庫川学院文学部非常勤講師を務め、社会人歴史研究会「まほろば総研」を主宰。2010年、奈良大学通信教育部文化財歴史学科卒業学芸員資格取得。専門分野は古代史。歴史物語を執筆中。

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