古墳に見る埋葬の歴史 ~土壙墓から火葬墓、神式葬儀まで
[入門]古墳と文献史学から読み解く!大王・豪族の古代史 #018
時代に応じて葬儀の形式や埋葬品が変化

天武持統合葬陵外観/柏木宏之撮影
現代は葬儀埋葬といえば焼骨(しょうこつ)しかありませんが、葬儀埋葬の歴史をみると、さまざまな変化をしてきたことがわかります。
縄文時代の初期は人骨も貝塚から出土することがありますが、やがて青森県の三内丸山(さんないまるやま)遺跡のように、特別な墓や一般の墓、それに子供は専用の墓に埋葬されるなど死生観が伺えます。さらに弥生時代は九州では甕棺墓(かめかんぼ)、近畿では方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)などいずれも竪穴の土壙墓(どこうぼ)が普及します。
またこの時代からは副葬品が目立ち始めます。貝の腕輪や、時代が進めば管玉(くだたま)や青銅製品もみられます。
そして古墳時代になると副葬品の種類も増え、豪華さもひと際ですが、もちろん一般庶民の墓ではありません。身分制度がはっきりしている証拠ですね。
古墳時代はおよそ400年間続きますが、古墳への埋葬形式も変化します。
初期は竪穴式といって、古墳の頂上から縦に穴を掘って埋葬し、天井石で蓋をして封土で再び覆います。徐々に棺も木棺から石棺に変わり、石槨(せっかく)も発達します。
さらに時代が進むと、成形された切り石の石室は横穴式に変わり追葬できるようになり、羨道(せんどう)・前室(ぜんしつ)・玄室(げんしつ)を持つ完成期を迎えます。そして火葬墓となって古墳時代は終わります。

天武持統合葬陵説明パネルより/柏木宏之撮影
大王の場合、葬儀の仕方も「殯(もがり)」といって、最長2年ぐらい本埋葬をしないで宮を設けて葬儀が延々続きました。巨大な墳墓(ふんぼ)は寿墓(じゅぼ)といって、生前から造営が始まります。亡くなると、多ければ何万本にも及ぶ円筒埴輪(えんとうはにわ)や副葬する形象埴輪(けいしょうはにわ)が作られます。
どうも殯期間はこの埴輪群が完成するまで続けられたのではないかと私は思います。大王ほど古墳も巨大なので、埴輪の数も多く殯期間が長くなるのも自然ですね。
そして仏教が受容されると、大王家でも火葬が始まり、41代持統(じとう)天皇が最初の火葬で葬られます。
古墳時代最終末期の中尾山古墳は明らかな火葬墓です。持統女帝の孫の42代文武天皇、43代元明天皇、44代元正天皇は火葬です。古墳時代の最終末が文武天皇とみてよいでしょう。
この時代の天皇陵は八角墳に変わっています。
奈良時代を開いた元明天皇以降は古墳時代とは画されると考えられています。宮内庁によりますと墳形は「山形」となります。さらに時代が進むと菩提寺(ぼだいじ)に弔われる天皇も数多くなります。
しかし、幕末の孝明天皇からは仏式の葬儀が古式ゆかしい神式に復古されます。明治政府の王政復古の大号令によるものでしょうね。
長い年月の間にはこのように変遷がありますし、それは文化史や政治史の参考にもなるでしょう。

中尾山古墳説明パネルより/柏木宏之撮影
(次回に続く)