事実上の女郎屋だった「矢場娘」「茶屋娘」というお仕事 ~隠れ蓑だった矢場営業~
江戸の性職業 #029
■矢場=近代の射的 だが狙う的は“矢場娘”

図1『間合俗物譬問答』(一片舎南竜著、寛政12年)国会図書館蔵
図1に描かれているのは矢場である。矢場は、楊弓場(ようきゅうば)ともいい、盛り場や寺社の境内などに多かった。
矢場は小さな弓で矢を射て、的に当てる遊びである。近代の射的に近い。
だが、射的が空気銃で景品を狙うのに対し、矢場で男が狙うのは矢場娘だった。
図1の画中に、
「矢取り女にのろくなると、老僧が陰間にはまると、いずれ」
と記されている。
矢取り女に夢中になる男と、陰間(かげま)に夢中になる老僧と、どっちもどっちだ、と。
矢取り女は、矢場娘のこと。客が射た矢を回収することから、矢取り女とも呼んだ。
矢場娘は四つん這いになって矢を回収に行くとき、ことさらに尻を突き出し、客をさそった。
つまり、矢場娘はセックスワーカーだった。矢場営業は隠れ蓑だったのである。
矢場が事実上の女郎屋(じょろうや)というのは、当時の男には常識だった。
客の男は弓で矢を射て遊びながら、矢場娘を物色し、気に入れば、奥の座敷で床入りした。
図2は、海岸近くにある茶屋。

『宝寿玉岩井模様』(東西庵南北著、文政4年)国会図書館蔵
柱に取り付けた掛行灯(かけあんどん)に、
「御休処 千客万来」
と記されている。
床几(しょうぎ)に腰かけて煎茶を飲み、煙草を一服して休憩するところである。茶代は十二文くらい。
ただし、美人の看板娘を置いた茶屋では、客は祝儀も含めて百文近く置いた。
茶屋の看板娘は、多くの錦絵に描かれている。
さて、ここで茶屋について整理しておこう。
茶葉を売る店を葉茶屋といった。湯茶を飲ませる店を、葉茶屋と区別して、水茶屋といった。
この水茶屋を略して、茶屋や茶店と呼んだのである。
また、茶屋の形態は多様だった。
盛り場や寺社の境内、街道沿いなどにある、葦簀(よしず)で陽射しを防ぎ、床几を数脚並べただけの簡便な茶屋を、掛け茶屋といった。
本格的な造りの建物で、料理屋並みの料理を出す茶屋を料理茶屋といった。
芝居街にあり、芝居見物に来た人が飲食を楽しむ茶屋を、芝居茶屋といった。
男女の密会の場を提供する、出合茶屋もあった。
男娼(だんしょう)である陰間を置いたところを、陰間茶屋といった。
そして、色茶屋と呼ばれる茶屋もあった。表向きは普通の水茶屋だが、声を掛ければ、奥の座敷で茶屋娘と床入りできたのである。
もちろん、「色茶屋」という看板が出ているわけではない。
こうした噂はすぐに広がるため、男たちは口コミでやってきたのである。
色茶屋の茶屋女は、セックスワーカーだったといえよう。