世俗から解き放たれた連歌や俳諧の「座という文芸」
戦国時代の飯尾宗祇から、現代の夏井いつきまで 俳諧・俳句人物史 第1回
『プレバト!』同様、連歌や俳句も「座」の文芸だった
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雪の日、俳諧宗匠を囲む江戸俳人たち。『風雅人雪のむしろ』」『月雪花の内』歌川国芳筆/都立中央図書館蔵
テレビ番組『プレバト!』で俳句が話題になって久しい。
夏井いつき先生が芸能人生徒らの句を評する内容で、時に酷評し、また称賛しながら生徒たちを導く。夏井先生は有名タレントの句でも頓着せず添削し、初参加の生徒でも佳吟(かぎん)であれば褒める。生徒役の彼らはそれに首肯したり、反発したり、その丁々発止(ちょうちょうはっし)のやりとりが面白い。
かような俳句文芸の姿は、孤独な創作を旨とする現代小説や詩からすると不思議に感じられよう。同時に、先生役と生徒役がいわば共同で作品を練りゆく姿は連歌や俳諧(はいかい)から連綿(れんめん)と続くお家芸で、『プレバト!!』はその現代版といえる。
例えば、連歌師の飯尾宗祇(いいおそうぎ 1421-1502)は足利義尚(あしかがよしひさ)将軍を始めとする幕府の貴顕(きけん)らと交流があり、宗祇を師と仰ぐ地方豪族は後を絶たなかった。あるいは江戸期の俳人、宝井其角(たからいきかく 1661-1707)が大名や旗本と親しかったことも有名だ。
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松尾芭蕉門下で江戸俳諧宗匠の組合・江戸座を結成し発展させた宝井其角『其角肖像真跡』渡辺崋山筆/都立中央図書館蔵
連歌や俳諧の「座」では、いわば宗祇や其角先生が時の権力者に句作法を教え、生徒役の彼らはそれによって教養を身に付ける。加えて、「座」を通じて世間のしがらみから離れたやりとりや人間関係が生まれ、同時に俗世の権力関係や知名度も絡まりながら独特のコミュニケーションが発生した。
戦国の乱世に生きる連歌師が歌の作法を教授するのみならず、京の最新情報を各地の豪族に伝え、諸大名の連絡役を担ったのは、かような座の性格によるものだ。江戸期の大名やお歴々が集う句会には、公の場では同席が困難な商人や遊郭の粋人も混じるなど、身分や立場を超えた人脈や情報交換が培われたものだった。
かように短詩文芸は政治等と緩やかに絡みつつ座としてのサロンを形成し、連歌師や俳諧師がその座を取りなし、円滑に運ぶ役割を任じたのであり、そこで面識を得た人々は自作を片手に交流を深めたのである。
同時に、連歌や俳諧、また現代俳句には世俗の人間関係から解き放たれた清遊(せいゆう)の興といった側面も強い。他者と膝をつき合わせて句を選び、評しながらコミュニケーションを重ねることで、現実生活と切り離された遊芸に浸る仲間意識が醸成されるのだ。その点、室町連歌からテレビの俳句番組に至るまで、句作は座というコミュニケーションを軸にすえた文芸といえよう。
では、その姿は日本史の中でいかなる相貌(そうぼう)を見せたのだろうか。まずは、本能寺の変を起こした武将の話から始めてみよう。
(次回に続く)