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酒呑童子 ~想いの叶わぬ女たちの怨念で望まずして鬼になった美少年

「鬼滅の戦史」第2回

モテすぎて恋文をも粗末にしてしまった挙句の不運

 

女をはべらせて酒宴に興じる酒呑童子『和漢百物語』一魁斎(月岡)芳年筆/国立国会図書館蔵

 鬼伝説をテーマとした「鬼滅の戦史」の皮切りは、丹波国大江山(たんばのくにおおえやま)を根城としていた酒呑童子(しゅてんどうじ)の物語である。『鬼滅の刃』に登場する鬼の首領・鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)が最強の鬼とされたように、各地に伝わる鬼伝説の中でも、大江山にたむろする酒呑童子の極悪非道ぶりは際立っていた。身の丈2丈というから、6メートルにも達する巨大さである。頭には5本の角が生え、15個もの目があったというからおぞましい。ただし、鬼舞辻無惨同様、元は人間で、多くの女性たちから求愛されたというほどの美少年であった。

 

 女性たちは少年に想いを寄せ、何度も恋文を認めた。しかしその恋文を少年は読むこともせず、全て燃やしてしまった。それとは知らず、一向に見向きもされなかった女性たちの恋心は高まるばかり。無下にされ続けたことで、ついに激怒。恨みは増幅して怨念となり、少年を鬼に変貌させてしまったのである。また、幼少の頃から特異な才覚の持ち主であったことが災いして鬼っ子として疎まれた挙句、6歳にして母親にさえ捨てられ、各地を放浪しているうちに鬼になったとの説もある。何れにしても、酒呑童子もまた、望まずして鬼となった、不運な経歴の持ち主だったのだ。

 

 ただし、鬼に変貌して以降は、性格も激変。冷酷非情な鬼と化している。連夜、配下を従えて京の都に現れては、道ゆく姫君たちをさらい、生きたまま喰い漁っていたというからすさまじい。都の人々が大いに恐れたことはいうまでもない。

 

 時代は平安中期、藤原道長が我が世の春を謳歌していた頃のことである。権力の中枢に上り詰めた藤原氏らの栄達ぶりに反して、社会の底辺では、塗炭(とたん)の苦しみに喘いでいた人々が少なくなかったのだろう。不安な情勢が続いていた時代だったからこそ、京の都が恐怖のどん底に陥れられるほどの鬼伝説が生み出されたのだ。

 

討ち取られた首の凄まじい怨念

 

 俗説では、この事態を憂慮して朝廷が派遣したのが、清和源氏の3代目にあたる源頼光(よりみつ)とその家臣たちであった。頼光は、摂政関白太政大臣として絶大な勢威を誇っていた藤原道長に仕えた武人。付き従うのは、後に茨木童子(いばらきどうじ)退治で名を上げた渡辺綱(わたなべのつな)や、金太郎のモデルともなった坂田金時(さかたのきんとき)の他、碓井貞光(うすいさだみつ)や卜部季武(うらべのすえたけ)といった錚々たる武将たちである。

 

 この鬼討伐軍派遣が史実かどうか定かではないが、大江山に盗賊集団がはびこっていたことは、『今昔物語集』(巻二九の二三)にも記されている。また大江山には、日子坐王(ひこいますのみこ)による陸耳(くがみみ)退治物語も言い伝えられている。陸耳とは、先住の渡来系海人族だったとか。朝廷にとっての「まつろわぬ」輩だったという。となれば、盗賊ばかりか、まつろわぬ地方勢力を討伐したことを、鬼退治物語として華々しく語り継いだと推察できるのだ。また、後世の室町幕府3代将軍・足利義満が、丹波を支配していた守護大名・山名氏の反乱(明徳の乱)を抑えたことが、この頼光の鬼退治に反映されていると見られることもある。ここに登場する鬼とは、詰まる所、政権側にとって不都合な地方勢力のことだったのである。

 

 ともあれ、伝承としての鬼退治物語では、大江山へと向かった頼光一行は、山伏に変装して鬼たちに取り入り、酒宴に同席する機会を得た。ここで振舞われたのが、都から拐(さら)われてきた姫君たちの人肉や血であった。頼光たちは鬼たちに疑われないよう、それらを何とか飲み込んだ。そうやって彼らを安堵させた上で、持参した「神便鬼毒酒(じんべんきどくしゅ)」という鬼が飲むと動けなくなる霊酒を飲ませることに成功。眠りについて動けなくなったところを急襲し、天下の名刀「童子切安綱(どうじぎりやすつな)」を振りかざして、その首を断ち切ったのである。

 

 この時、斬り落とされたはずの首が空高く舞い上がった。と、思うや否や、頼光の兜に喰らいついたというから、何とも凄まじいしぶとさである。それでも、兜には八幡神や住吉神、熊野神ら三神の神力が宿っていたため、難を避けることができたとか。首魁である酒呑童子はもとより、その配下の鬼たちも退治して、華々しく都に凱旋したというのである。朝廷の威光が高まったことは、いうまでもない。

源頼光以下六勇士、鬼退治之図 歌川国芳筆/東京都立図書館蔵

 ただし、討ち取られた首は、帰還の途上、現京都市西京区の山中に差し掛かったところで突如、重みを増して運べなくなったとか。仕方なく、その地に埋めたとのことである。今は、鬱蒼と生い茂る木立ちの中に、首塚大明神と刻まれた石碑と鳥居がポツン。その佇まいは、何とも鳥肌が立つようでおぞましい。心霊スポットとして恐れられるのもなるほどと、頷きたくなるような不気味さなのである。

 

(次回に続く)

 

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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