新興国インドが独自開発した戦闘爆撃機【ヒンドスタンHF-24マルート】
超音速時代の到来~第2世代ジェット戦闘機の登場と発展~【第18回】
第2次世界大戦末期から実用化が推進された第1世代ジェット戦闘機は、朝鮮戦争という実戦を経験して完成の域に達した。そして研究はさらに進められ、亜音速で飛行する第1世代ジェット戦闘機を凌駕する超音速飛行が可能な機体が1950年代末に登場。第2世代ジェット戦闘機と称されて、超音速時代の幕が切って落とされた。前シリーズに続いて本シリーズでは、初期の超音速ジェット戦闘機(第2世代ジェット戦闘機)について俯瞰してゆく。

退役後、展示に供されているヒンドスタン(HAL)HF-24マルート。きわめてスマートなデザインの機体であり、相応のエンジンへの換装ができていたなら、より高性能を発揮したかも知れない。
長らくイギリス領だったインドは1947年に独立。以降、行政、経済、軍事に独自の路線を歩むことになったが、そのうちのひとつに国産ジェット戦闘機の開発があった。
当時、航空技術はさまざまな近代テクノロジーの集合体であり、そのなかでもジェット戦闘機は、もっとも技術水準の高い存在だった。インドには1940年に創設されたヒンドスタン航空機(HAL)があり、同社はこのプロジェクトのために、ドイツ人航空機設計技師クルト・ヴァルデマー・タンクを招聘した。
タンクはかつてドイツのフォッケウルフ社で、Fw200コンドル4発哨戒爆撃機や、傑作として知られる一連のFw190戦闘機シリーズを手掛けた人物として知られる。ヒンドスタン航空機は、彼の力を借りて国産初の超音速ジェット戦闘機の設計に着手し、1961年6月17日、HF-24の初飛行に成功した。
こうしてHF-24はマルートと命名され、その生産が開始された。ちなみに「マルート」とは、インド神話に登場する風の神の名である。
マルートは素直な設計の機体ながら、エンジンの出力が不足していた。しかし代替のエンジンの開発や入手にインドは積極的ではなかった。というのも、国庫に鑑みて完成している外国機を購入したほうが合理的という判断が、政府や軍の主な考え方となっていたからであった。かような理由で、本機の量産機は最後まで、2基のブリストルシドレー・オルフュース・エンジン装備であった。
しかしマルートは低空域での飛行特性が優れていたので、インド空軍では戦闘爆撃機として運用。バングラデシュ独立戦争に投入され、対地攻撃で活躍している。
第2次大戦中の過酷な航空戦を経験したタンクの指導があったおかげで、本機の機体構造は堅牢なうえ、戦闘機としてはエンジン出力が心もとないとはいっても、エンジン1基が停止した状態での安定した飛行も可能なうえ、油圧系統が失われても手動で飛行可能なバックアップが備えられていた。そのため、対空砲火を被弾しながらも生還した機体も少なくなかった。
なおマルートは、1990年までに退役が終了している。