戦争はなぜ起きるのか? GHQが焚書処分とした 『子供のための戦争の話』 そこに記された戦争の真実とは?
戦後80年特別企画
「なぜ戦争が起きるのか?」
争いは人の世界に限らず、虫でも魚でも動物でも、あらゆる生物の世界で日々繰り返されている。しかし他の生き物と違い、人間は言葉を介してお互いの考えを理解することができるはず。にもかかわらず現在でも、世界から戦争が絶えることがない。戦前の日本には、その答えのヒントとなる事柄が記された、子供用の書物が刊行されていた!

旅順要塞は日清戦争の時、少将であった乃木希典が陥落させた。だがそれからロシア軍により大幅に補強され難攻不落の要塞となっていたため、28センチ砲での砲撃も行われた。この戦いで櫻井中尉は瀕死の重傷を負う。
まさに「戦争がなぜ起きるのか」という問いは、人類が抱える永遠の謎の一つかも知れない。個人同士の争いならば、暴力沙汰になる前に話し合いや、第三者による仲裁により、問題を解決できることも多い。ところが国と国が争った場合、それぞれが大きな利害関係を抱えているため、簡単に引き下がることができなくなる。それを子供にもわかりやすく解説した文章に、出会うことができた。
それは戦後、GHQにより焚書処分になった櫻井忠温(さくらいただよし)著『子供のための戦争の話』である。櫻井は戦前の世界的なベストセラー作家で、しかも帝国陸軍の軍人であった。櫻井は明治12年(1879)に愛媛県松山で士族の三男として生まれた。明治34年(1901)に陸軍士官学校を卒業。明治37年(1904)に始まった日露戦争に、松山の歩兵第22連隊付少尉として同年4月に出征している。そして乃木希典(のぎまれすけ)大将麾下(きか)の第三軍に所属。8月に中尉に進級し、第12中隊小隊長として第1回旅順要塞総攻撃に参加。旅順口望台の戦闘で全身に8発の弾丸と無数の刀傷を受けた。そのあまりの酷い傷つきぶりに死体として運ばれた。そしてまさに火葬される直前、息を吹き返したという強者である。
入院・療養中に執筆した旅順攻囲戦の実戦記録『肉弾』が、明治39年(1906)に刊行された。これが大ベストセラーとなり、近代戦記文学の先駆けとなった。しかもイギリス、アメリカ、ドイツ、フランス、ロシア、中国など15カ国で出版され、高い評価を受けている。

『子供のための戦争の話』は昭和8年6月5日に発行された。戦後に焚書処分され、長い間、人々の目に触れなかった。2024年にダイレクト出版により復刻版が刊行された。日本を取り巻く環境が厳しい現在、読んでおきたい1冊と言える。画像は昭和8年版『子供のための戦争の話』目次。国立国会図書館蔵
その後、櫻井は陸軍省新聞班長を務め、多くの著作を世に送り出し、昭和5年(1930)、陸軍少将で退役している。この『子供のための戦争の話』は昭和8年(1933)、日本が国際連盟を脱退し、世界から孤立の道を歩み始めた年に出版されている。そのような風雲急を告げる時期に、櫻井は子供たちに何を伝えたかったのであろうか。
戦後、日本の教育界では日本の侵略行為が大東亜戦争(太平洋戦争)の要因であって、一方的に日本に責任を負わせるのが正論として教えられてきた。だが日本が近代化に乗り出した19世紀は、アフリカからインド、東南アジア、中国に至るラインは、ほとんどの国がイギリスかフランスの植民地となっていた。しかも遅れてこの植民地獲得競争に参加しようと画策する、巨大な勢力も台頭してきた。日本だけが“悪玉”であったから戦争が起こったというような、単純な話では片付けられないのである。

1840年に勃発した清国とイギリスのアヘン戦争は、イギリスが圧倒的な勝利を収めたことで、その後は本格的に中国へ進出する。この戦争に関する情報は、徳川幕府の高官にももたらされていた。
そんな時代に、国際社会の荒波へと船出した日本の前にある未来は、ふたつだけであった。「白人国家の植民地となる」か「有色人種初の帝国主義国家に生まれ変わる」というものだ。そこで日本は、ごく短期間のうちに「封建的農村国家」から「近代的工業国家」へと変貌を遂げた。当初、西欧諸国は東洋のちっぽけな島国の変貌ぶりを、好奇の目で見ているだけであった。
ところが日清・日露の両戦争で勝利を収め、大陸に確固たる勢力を持つようになると、はなはだ面白くない国が現れた。19世紀以来、中国大陸への進出をずっと画策していたアメリカである。アメリカは1898年7月にハワイ王国を併合し、同じ年の4月から始まっていたスペインとの戦争(米西戦争)に、8月には勝利を収めている。12月の平和条約締結でアメリカはフィリピン・グアム・プエルトリコを含む旧スペイン植民地のほとんどすべてを獲得し、キューバは保護国として事実上支配した。これにより太平洋上に拠点を確保し、アジア進出の機会を伺うようになっていた。

1898年のアメリカとスペインの戦争(米西戦争)はフィリピンやグアム、キューバ、プエルトリコなどが戦場となった。キューバのサン・フアン・ヒルの戦いでは、後の大統領セオドア・ルーズベルトがラフ・ライダーズ(荒馬乗り)連隊の中佐として隊を指揮した。
この後、本格的に大陸進出を目指したアメリカにとって、日本は目障りな存在以外の何者にも映らなくなっていったのである。(以下・後編に続く)