宮本武蔵は「剣聖」ではなく作られた「虚像」!? 生涯無敗の剣豪、史上最強のイメージは後付けの設定なのか?
目からウロコの剣豪・剣術伝説
■宮本武蔵関係の史料はごくわずか
史上最強の剣豪は誰かという問いには、ほとんどの人が宮本武蔵と答えるであろう。
武蔵の著『五輪書』には、
「国々所々に至り、諸流の兵法者に行逢(いきあ)ひ、六十余度まで勝負すといへども、一度もその利を失はず。その程年十三より二十八九までのことなり」
とあり、13から28、9歳まで、諸流派の武芸者と60回以上の試合をしたが、一度も負けたことがない、と。
あるとき、剣道の錬士七段のA氏が筆者に、数々のエピソードを引用して武蔵が剣聖であるゆえんを語った。
筆者はちょっと意地悪かなとも思ったが、
「あなたが語ったエピソードは、吉川英治が『宮本武蔵』の中で創作したもので、史実ではありませんよ」
と指摘した。
すると、A氏は憤然として、こう反論した。
「私は吉川英治の小説『宮本武蔵』など、読んだことはありません。私が述べたのは、すべて剣豪伝や剣術史などで学んだことです」
とりもなおさず、『宮本武蔵』(吉川英治著)の影響が子だけでなく、孫、さらにはひ孫にまで及んでいることの証拠といおうか。
さて、『宮本武蔵』は吉川英治著の時代小説で、昭和10年(1935)から昭和14年(1939)まで、朝日新聞に連載された。
その後、書籍化された『宮本武蔵』は広く愛読され、それだけに影響力も大きかった。
その圧倒的な影響下に、宮本武蔵を題材とする多数のフィクションとノンフィクションが書かれた。
また、それらの本の影響下に、さらに多数の「宮本武蔵」ものが書かれた。
つまり、世にある宮本武蔵に関する著作は大なり小なり、吉川英治著『宮本武蔵』の子であり、孫であり、ひ孫なのだ。
現在、宮本武蔵について書き、語っている人は、吉川英治著『宮本武蔵』は読んでいないとしても、間接的に、しかも自覚もないまま、吉川英治著『宮本武蔵』に影響されているといってよい。先述したA氏も、その好例であろう。
ちなみに、NHKテレビで平成15年(2003)に放映された大河ドラマ『宮本武蔵 MUSASHI』も、吉川英治著『宮本武蔵』が原作である。
じつは、宮本武蔵に関する確実な史料はほとんどない。武蔵の実像はあいまいそのものである。
そんな宮本武蔵の生涯を、剣の道を究める求道者、数々の真剣勝負で無敗だった剣豪として肉付けし、生き生きと描き出したのが吉川英治著『宮本武蔵』なのだ。
【図1】は宮本武蔵の自画像とされているが、あくまで伝承である。
次編に続く

【図1】宮本武蔵(『肖像』野村文紹/国立国会図書館蔵)