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父を襲われ「ヒグマへの復讐」を誓った少年 雪山が鮮血に染まった壮絶な討伐作戦の結末

歴史に学ぶ熊害・獣害


 今夏は北海道でも本州でも熊の目撃情報や人身被害のニュースが相次いだ。熊との共存や人身被害は日本においても長年の課題である。一方で歴史を振り返れば「勇ましさ」の象徴として、熊との対決がクローズアップされることもあった。

 

 昭和17年(1942)に刊行された物語絵本『戦ふ勇太』にも、ヒグマとの壮絶な戦いが描かれている。創作物ではあるが、筆者は「この絵ものがたりは、今からざっと70年前、北海道にあつた出来事を、ものがたりにしたものです(原文ママ)」としている。

 

 時は明治初期、かつて蝦夷地と呼ばれていた北の地は「北海道」と名を変え、国は開拓民の移住を推し進めていた。津軽海峡近くのある漁村に生まれた12歳の少年・勇太も、祖父や父をはじめとする村の移民団に加わって海を渡る。家を建て、漁をし、生活拠点を築く手伝いをしながら、津軽に残してきた母との再会を待ちわびる日々。しかし、そこにヒグマの脅威が迫っていた。

 

 ある日、勇太と友だちの健太が食料を保管している納屋の見張りをしていると、突如ヒグマが現れた。慌てて大人たちを呼びに行ったが、村には対抗できる銃などない。しばらくして戻ってみると、納屋はヒグマに荒らされ、野菜などが奪い去られていた。この日を境に、村は常にヒグマの襲撃に怯えることになってしまう。ヒグマの足跡は連日村の周辺で発見され、様子を窺いながら虎視眈々と食料を狙っていることは明白だった。

 

 秋になり、冬支度と鉄砲調達のために根室の町に出た村人たちは、帰村途中にヒグマの襲撃にあってしまう。そのなかには勇太の父もおり、命こそ助かったもののヒグマの攻撃で脚を負傷してしまった。

 

 勇太は自慢の父を攻撃したヒグマへの憎悪を募らせる。ある時には鉄砲をこっそり持ち出してヒグマを探しに行こうとするほどだった。祖父に見つかって「子どものお前には無理だ」と叱られても「嫌だ、どうしても行く」と言ってきかない。根負けした祖父は支度を整えて山に入り、穴にいるヒグマを発見したものの、この時はさすがに太刀打ちできないと逃げ帰るしかなかった。

 

 しかし、それで諦める勇太ではない。復讐の炎は小さくなるどころかますます燃え上がり、ヒグマに見立てたわら人形を的にして弓の練習に励んだ。やがて冬が到来し、正月を迎えてしばらく経った頃、「冬眠している今のうちに仕留めておかないと、春になったらまたヒグマに食料を狙われる」ということで村をあげて討伐隊を組むことになった。当然、13歳になった勇太もやる気だ。

 

 一行は以前勇太と祖父が見つけた穴まで行って、冬眠中のヒグマを穴から引きずり出すことに成功。眠りを妨げられたヒグマは鼻を鳴らし、怒りに満ちた声をあげながら立ち上がった。こうして命がけの戦いは始まったのである。

 

 村人たちは鉄砲やヤスで必死に攻撃し、ヒグマもそれに抵抗して暴れまわった。そのうち、ヒグマは少し離れたところで待機していた勇太をめがけて駆けだした。それに気づいた村人たちは「危ない! 逃げろ!」と慌てるが、勇太は動かない。そして矢を放ったものの、そのまま気絶してしまった。すぐさま村人が鉄砲で攻撃し、ヒグマはよろめいてドサリとその場に倒れた。

 

 村人たちは倒れた勇太に駆け寄り、声をかける。「勇太、しっかりせい。お前の矢も熊の胸に突き刺さっているぞ!」「勇太が倒したのかもしれんなあ」と。みんな勇太がいかに父の仇を討ちたがっていたかをよく知っていたために、手柄をたてたと一緒に喜んだのである。ヒグマが倒れた辺りには雪の上に鮮血が飛び散っていた。こうして、村を脅かし続けたヒグマは討伐された。

 

 一行はヒグマをみんなで抱えて意気揚々と村に戻った。そして肉を料理し、毛皮を飾って母に自慢する日を心待ちにするのだった。

 

 冒頭に述べた通り、本書は昭和17年(1942)、つまり太平洋戦争真っ只中の状況で発行された。したがってこの熊退治のエピソードも含め、主題は「国のために励む強い子どもに育つこと」にある。実際、本書冒頭では著者が「何事によらず、國のため、人のため正しく、力限り働くことは、世の中で一番たのしい事です(原文ママ)」と記しており、最後には「せまい日本の大東亞日本に築いていく強い子供の夢」というフレーズも出てくる。

 

 明確に記されているわけではないが、「北海道の開拓民とヒグマの攻防」を描きつつ、当時国をあげて推進していた満州国への移住や、強大な国との争いに打ち勝つことなどを連想させる、ある種の「戦意高揚」のための書籍にも感じられるのだ。

『戦ふ勇太』より/国立国会図書館蔵

<参考>

■筑波三郎『戦ふ勇太 (ナカムラ絵叢書)』

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歴史人編集部れきしじんへんしゅうぶ

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