重病の娘の命を救うために狐と取引した男 世にも不思議な伝承の奇妙な結末
世にも不思議な江戸時代②
娘の病気平癒のため、商人が雑司ヶ谷の鬼子母神で祈っていたところ、美しい女性に声をかけられた。その女性は商人にお願いがあると切り出した。
■偶然出会ったのは美女に化けた狐だった
寛保2年(1742)の出来事だと伝わる。日本橋あたりにあった豊かな商家の娘が病気になってしまった。しかも、なかなか治らない。そこで父親である商人は、暇を見つけては近くだけでなく、遠く足を延ばして神仏に祈る日々を送っていた。ある日、雑司ヶ谷(現東京都豊島区)の鬼子母神を詣でた時のこと。娘の病気平癒を祈願していると、同じように祈っている若い女性と目があった。人間とは思えないほど美しいその女性が突然声をかけてきた。
「あなたにお願いがあるのです」
商人が不思議に思っていると女性はさらに言葉を続けた。
「私の願いを叶えてくださいましたら、長い事患っている娘さんを直して差し上げましょう」という。商人はその女性に娘のことを話していないので、不思議に思っていると、女性はさらに言葉を続けた。
「私には深い願いがあるのですが、自分ではどうすることもできません。そこであなたにおすがりするのです」
とはらはらと涙を落とした。
「私は商売以外、何もできません。それでも娘をお助け下さるのであれば、私のできる範囲で力になりましょう」
女性はまだ涙を流している。
「私は目黒あたりに住む狐なのです。私の父が地元の人間に捕まって、近々大金と引き換えに生き胆を取られることになっています。でも、私には父を助けることができません。そこで旦那様に父を救っていただきたいと声をおかけした次第でございます」
商人は、これならばできそうだと思い請け合った。
翌日、商人は娘狐に告げられた場所を訪れた。大きな家の縁側に老人がひとり座っている。
「この家で狐を飼っていませんか」
商人が尋ねてみたところ、老人は首を横に振るばかりだ。落胆した商人が老人の側に置いてあった風呂敷に目にやると、風呂敷がごそごそと動き、白い狐の脚が出てきた。これが娘狐のいっていた父狐なのだろう。
「その風呂敷の中の狐を私に譲っていただけないでしょうか」
商人はそう切り出したのだが、老人は首を縦には振らない。
「知り合いの医者に、肝を生きたまま取り出して薬にするから狐を捕まえてほしいと前々から頼まれていたのだ。それがようやく手に入った。しかも白い狐はめったに見かけない。だからこれは約束通り、医者に渡す。この次狐を捕えたらそれを譲ろう」
「故あってどうしてもその狐の命を助けたいのです」
商人が20両を差し出して懇願しても、老人はうんとはいわない。
庭仕事をしていた老人の息子と思われる若い男が、二人のやり取りを聞いていたのだろう。声をかけてきた。
「おとうさんがお医者様から頼まれたのは私も知っています。人を救うための薬を作るためとはいえ、この狐の命を取らなくてはなりません。その狐の命を救うために大金をもってここまでわざわざ訪ねてこられたのです。よっぽどの訳があるのでしょう。今回はこの方の願いを叶えて上げたらいかがでしょうか。お医者様には私が断りにいってきます」
息子の言葉に老人は仕方ないという体で20両で狐を商人に譲ってくれた。商人はその狐を娘狐と約束した場所で放して、家に向かった。約束を果たしてよい心持になって家に戻れば、娘は見違えるほど元気になっていた。
あの頑固な老人を説得してくれた息子にお礼をしなければと、商人は翌日、店の者にお礼を持たせて目黒の家に向かわせた。ところが、昨日の老人も息子もその家にはいなかった。昨日の出来事を尋ねてみたところ、そんな話は知らないという。誰かがこの家を借りていたのだろうか。誠に不思議なことである。

「嘉永新鐫雑司ケ谷音羽絵図 」(東京都立中央図書館蔵)
この話の約100年後に出版された切絵図。この時代でも鬼子母神の周りは畑ばかりなので狐が出てきそうな雰囲気があったのだろう。鬼子母神は子育ての神なので、父親の願いをああした形で叶えたのかもしれない。