「わいろの人」と教わった田沼意次!今の教科書では「財政再建のために重商主義政策の推進に尽力した人」と評価が変わっている⁉
ここが変わった!日本史の教科書#04
昔、江戸時代の老中・田沼意次のことを教科書で「わいろもいっぱいもらった人」という印象で教えてもらったという記憶がある人もいる。現在、その印象は大きく変わっているという。

イメージ/イラストAC
■田沼=賄賂のイメージは教科書にも原因が?
8代将軍・徳川吉宗(とくがわよしむね)による「享保の改革」の後、次なる権力者としてクローズアップされるのが田沼意次(たぬまおきつぐ)である。10代・徳川家治(いえはる)のころ、田沼が側用人から老中となった安永元年(1772)からの十数年間を「田沼時代」と呼ぶが、それは新旧の教科書を見比べても変化はない。では、その田沼時代の政策についてはどうか。まず新旧ともに変わらないのが田沼による財政再建策である。田畑から得られる年貢だけに頼らず、商人の経済活動を活性化し、株仲間の公認や俵物の輸出、金銀の輸入による貨幣制度の改正など積極的な姿勢およびその成果が記される。
旧版では「田沼の政治は、これまでの農業を中心とした政策と違って商業資本を利用して実利をおさめる政策に新しさがあった」と高く評価されていた(この政策を「重商主義」と呼ぶこともあるが、教科書には使われていない)。
さて問題となるのが旧版の次の表記である。「利益をうばわれる農民の反抗が生じ、また、利をもとめることが一般的になって賄賂がしきりにおこなわれ、役人の地位も金で売買されるようになったから、幕府の統制力もおとろえた」としていた。これが新版では、「これに刺激を受けて、民間の学問・文化・芸術が多様な発展をとげた。一方で、幕府役人のあいだで賄賂や縁故による人事が横行するなど、武士の気風を退廃させたとする批判が強まった」とニュアンスが変わっている。東京書籍版でも「特権や地位をえようとする商人や武士によって賄賂が公然と行われ、政治の公平性がそこなわれた」としている。
さらに旧版では「天災も悪政によるものとされ、意次は人々のうらみをかって失脚した」と田沼一人に批判が集まったかのような書き方がみられたが、今は「悪政」の語も消えている。「田沼=賄賂=悪政」と読まれがちだった表現が薄まり、失脚は不運な条件が重なったという論調が今の主流である。
監修/大石 学 文/上永哲矢