朝ドラ『あんぱん』嵩はどれくらい偉くなったのか? 陸軍の「階級」と「幹部候補生試験」とは?
朝ドラ『あんぱん』外伝no.37
NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』、第11週は「軍隊は大きらい、だけど」が放送中だ。嵩(演:北村匠海)は、幹部候補生試験を受けることになる。しかし、試験前日に馬の番をしながら勉強しようとして、すっかり居眠りをしているところを見咎められた。それでも上等兵の八木信之介(演:妻夫木 聡)のはからいで試験を受け、乙種幹部候補生となった。今回は当時の陸軍の階級と幹部候補生試験について取り上げる。
■日中戦争開戦以降、人員不足で徐々に幹部候補生の条件が緩くなる
まずは旧帝国陸軍の階級をざっと整理しよう。前提として、1937年(昭和12年)2月15日に昭和12年勅令第12号を施行して陸軍武官官等表を改正し、将校相当官の名称を各部将校と改め、その官名並びに砲工兵諸工長及び各部准士官、下士官の官名を各兵科のものに一致させるように改正された。
上から順に大将、中将、少将(将官)/大佐、中佐、少佐(兵科佐官)/大尉、中尉、少尉(兵科尉官)/准尉(兵科准士官)/曹長、軍曹、伍長(兵科下士官)、その下が兵長(昭和15年から)、上等兵、一等兵、二等兵となる。
作中で嵩は伍長に昇進していたので、一般兵よりは格上だが下士官の一番下の位ということになる(下士官に含めない場合も)。とはいえ、部隊の中では兵の生活の管理や教育なども担っていたため、そう悪くはないポジションだ。ちなみに、登場する班長・神野万蔵は軍曹だった。
日本陸軍における幹部候補生は、当時の中等教育以上の学歴がある者の中から選抜された。元々は昭和2年(1927)に一年志願兵制度を改めて成立したのが幹部候補生制度である。その後、昭和8年(1933)5月に制度が改正された結果、予備役将校の教育を受ける「甲種幹部候補生」と、予備役下士官の教育を受ける「乙種幹部候補生」に区分されるようになった。
昭和13年(1938)4月にさらに制度が改正されると、「兵トシテ概ネ四月以上在営(召集ニ依リ部隊ニ在ル場合ヲ含ム以下之ニ同ジ)シタル者」と従来よりさらに条件が緩められた。甲種幹部候補生となると、各部隊から陸軍予備士官学校などの士官学校へ派遣され、集団で教育を受けた。1ヶ月で伍長、さらに3ヶ月で軍曹、最終的には曹長まで昇進し、ゆくゆくは将校に任官された。
一方、乙種幹部候補生は各部隊で教育され、4ヶ月で伍長になり、約1年後の試験によって優秀とみなされれば軍曹になった。
さて、史実でもやなせたかし氏はこの幹部候補生の試験を受け、乙種に合格している。試験の成績そのものは問題なかったのだが、病馬棟で寝ずの番をしていた際にうっかり居眠りしているところを週番の士官に見つかり、叱責された。それが影響して、乙種での合格となったらしい。当時の中隊長にはその旨と「気を落とさず、引き続き頑張ってくれ」という訓示があったという。
作中での嵩は伍長のままだが、実際のやなせたかし氏はその後順当に軍曹まで昇進し、暗号教育隊に派遣されたという。

イメージ/イラストAC
<参考>
■やなせたかし『アンパンマンの遺書』(岩波現代文庫)
■やなせたかし『人生なんて夢だけど』(フレーベル館)