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数字の「三」から読みとく「三国志演義」の面白さ

ここからはじめる! 三国志入門 第12回

根源的・象徴的なものとして物語に散りばめられた「三」の数字

 

鼎

三本の足が支える三国時代の象徴として造られた鼎(かなえ)のオブジェ。湖北省武漢市にて筆者撮影

 

 三度目の正直、朝起きは三文の徳、石の上にも三年、三日天下・・・と、「三」に関する慣用句、ことわざは実に多い。

 

 そして「三国志」だが、この読み物にも、とかく「三」という数字が溢れている。題名が示すとおり三国の興亡史を伝える歴史書だからということもあるが、その小説版『三国志演義』においては、より「三」が重要視され、物語の根源をなしている。

 

 張角(ちょうかく)三兄弟が「黄巾(こうきん)の乱」を起こし、劉備(りゅうび)・関羽(かんう)・張飛(ちょうひ)が「三兄弟」として桃園に義をむすび、虎牢関(ころうかん)の戦いで呂布(りょふ)が三戦三勝して「三兄弟」と戦う(三英戦呂布)。

 

 陶謙(とうけん)は劉備に徐州(じょしゅう)を三度も譲ろうとし、関羽が曹操(そうそう)に「三事」を約束させて降伏。劉備は諸葛亮(しょかつりょう)を「三顧(さんこ)の礼」で迎える。諸葛亮は「天下三分の計」をとなえ、赤壁で三日三晩のうちに矢をそろえ、周瑜(しゅうゆ)を三度欺く(三氣周瑜)。

 

 赤壁で敗れた曹操は、逃げる途中に三たび笑って危機に陥り、三匹の馬が同じ槽の餌を食うのを夢に見る(三馬同槽)。

 

 呉は三代目(孫権=そんけん)にして建ち、呂蒙(りょもう)は魯粛(ろしゅく)に「男子、三日会わざれば刮目(かつもく)して見よ」と云う。三国鼎立後に蜀は滅ぶが、姜維(きょうい)が「一計で三賢を害す」を成そうとするも自滅する。

 

 このように、とにかく「三」のオンパレード。見事なまでに、物語のあちこちに「三」の数字が絡んでいるのだ。もちろん、これは作者が意図的にしたことに間違いない。

 

 中国において「三」は特別な数字である。『老子』に「道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず」とあるとおりで、天・地・人をはじめ、「三」がすべての根源とされている。

 

 三国時代は「天下三分」という、長い中国史上でも他に類を見ない時代であった。その歴史書『三国志』を原典とする『三国志演義』も「三」という数字を根源的、象徴的なものとして扱っているのである。

(次回に続く)

 

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上永哲矢うえなが てつや

神奈川県出身。日本の歴史、および『三国志』をはじめとする中国史の記事を多数手がけ、日本全国や中国各地の現地取材も精力的に行なう。著書に『三国志 その終わりと始まり』(三栄)、『偉人たちの温泉通信簿』(秀和システム)、共著に『密教の聖地 高野山 その聖地に眠る偉人たち』(三栄)など。

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