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「大正」の次は「光文」のはずだった!? 新聞社同士の熾烈な争いで起きた世紀の誤報「光文事件」とは

炎上とスキャンダルの歴史


■他社に先んじて一大スクープを出したはずが……

 

 現在では「オールドメディア」の典型とされがちな新聞。しかし大正末期の日本においては絶対的な権威でした。新聞社との仕事を経験すると、いかに彼らが誤報を恐れているかを痛感させられるのですが、その手の“職業的恐怖”を決定づけた大誤報が「光文事件」なのです。

 

 現在から100年前にあたる大正15年(1926年)12 25日午前240分、葉山の御用邸で療養していた大正天皇の崩御が発表されました。しかし緊急閣議の最中にもかかわらず、つまり葉山からは何の発表もない段階で、「東京日日新聞(現在の毎日新聞)」だけは号外を出しました。

 

 しかも「(新)元号は光文」と断定的に第一号外で発表してしまったのです。当時の「東京日日(以後、東日)」は、「大阪毎日(大毎)」と合わせた「大毎・東日」連合として、大阪朝日・東京朝日の「朝日連合」との激しい首位争いの最中でした。スッパ抜かれた各社は意気消沈したものですが、数時間後、落胆は嘲笑に変わります。推定3時間以上という異例に長い緊急閣議の末、政府が発表した新元号は「昭和」だったからです!

 

 何十年に一度しかない改元。かつて明治天皇が崩御し、次の年号が「大正」となることをスッパ抜いた「東京朝日新聞」の記者・緒方竹虎は大出世を遂げました。

 

 「東日」の若手記者・杉山孝次も緒方に続こうとして、そして社内もそんな杉山を信じ、大失敗を記録したのです。杉山は西洋人めいた彫りの深い顔立ちから「バロン」と呼ばれ、そういう外見がよい人物の言葉は多少アヤフヤでも、真実に聞こえやすいという人間心理の闇でしょうか。

 

 「東日」は事件から17年後の昭和18年(1943年)、「光文事件」の影を引きずる社名を「毎日新聞」に変更したのですが、戦後になってもなお「元号は、光文から昭和に差し替えられた」との主張を続けていました(『毎日新聞百年史』昭和47年・1972年)。

 

 しかもその根拠は、昭和31年(1956年)9月にNHKが放送した『私の秘密』というクイズ番組に出演した中島利一郎なる老人の証言だったのですね。中島は当時73歳。かつては政府の枢密顧問官だった黒田長成侯爵主催の「藩史編纂所」の編纂員――つまり歴史家でした。

 

 そんな中島が「昭和ではなく光文になる予定だった」「光文という元号を作ったのは自分」という「秘密」を暴露したので、「光文事件」の当事者たちで、「東日」から改名された「毎日新聞社」のOB記者たちを惹きつけてしまったのです。

 

 「真実にたどり着いたにもかかわらず権力によって敗北したわれわれ」という構図はいかにも報道関係者が好む自己正当化の物語です。しかし、ここには再び大罠が仕掛けられていました。

 

 たしかに中島は国府種徳が提出した案の中に「光文」が含まれていることを知る立場(編修局の補助員)にありました。それゆえ、OB記者も彼の言葉を信じこんだのでしょう。しかし、黒田侯爵から年号の選定を任されたという中島の証言は大ウソでした。

 

 「卑語」や「地名」の歴史――つまり歴史学の周辺分野でしか有名になれなかった70代の中島が、そのままで終わってしまいそうな自分の人生をメインストリームに接合するべく、「私は元号作成を任されるほどの人物だった」というウソをついたのです。それをロクに検証もせず、ふたたび引っ掛けられたのが「毎日新聞」のOB記者でした。

 

 膨大な論拠を交えて語り終えた後、「ホッ」とした表情になったという中島老人に対し、OB記者たちはおめでたくも「ようやく真実を語ることができた喜び」を見出したようです。実際は、自分のウソが元・新聞記者にも通じることに中島老人はホッとしていただけだったはずです。歴史家みずから偽史を語る構図も衝撃的ですが、人間の「承認欲求」が暴走し、他者の「信じたい」という弱みに付け入る不気味さには震えてしまいます。

 

 繰り返しとなりますが、「光文」という元号案を実際に作成し、内閣に提出した人物は、大正当時の内閣官房総務課事務嘱託・国府種徳でした。国府は「大正」という年号の生みの親であり、内閣側の元号作成のプロでしたが、皮肉にも彼が用意した「ボツ案」のいくつかが漏れ出し、それらが杉山を、そして「東日」という新聞社全体を破滅させる致命的なトラップとなってしまったのです。

 

 「光文」がボツになった経緯だけでなく、「昭和」という元号の成立背景も、作家・猪瀬直樹氏の執念の調査で明らかになっています(『天皇の影法師』)。「昭和」の生みの親は、生前の森鴎外からも信頼された漢学者で、宮内省図書寮勤務の吉田増蔵という役人でした。

 

 吉田が提出していた70もの元号候補から「昭和」が検討されたのは、大正天皇崩御の約10か月も前からのこと。つまり政府発表よりも早く「東日」が「光文」だと新元号をリークしたので、「昭和」に差し替えられたなどの話はすべてガセ。ただの都市伝説と実証した猪瀬直樹氏の『天皇の影法師』が出版されたのが昭和58年(1983年)3月です。

 

 こうして「昭和」という元号で二回も大恥をかいてしまった「毎日新聞」の衝撃は大きく、平成元年(1989年)17日、「平成」という新元号を公式発表の約3040分前には確実に掴んでいたにもかかわらず、号外が出せなかったそうです。「光文事件」の呪いが、63年もの時をこえて生きていたからでした。

イメージ/写真AC

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堀江宏樹ほりえひろき

作家・歴史エッセイスト。日本文藝家協会正会員。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。 日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。最新刊は『日本史 不適切にもほどがある話』(三笠書房)、近著に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)、『こじらせ文学史』(ABCアーク)、原案・監修のマンガに『ラ・マキユーズ ~ヴェルサイユの化粧師~』 (KADOKAWA)など。

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