妻が企てた「夫の毒殺」を観音様が見破った!? 浅草で起きた不思議な事件
世にも不思議な江戸時代⑬
過って毒薬を売ってしまった薬種屋の主が、浅草の観音様に「人に害がおよばないように」とすがりに行った。隣で祈っていた男に帰り道、そのことを打ち明けたところ……。
■誠実な薬屋の願いは観音様に届くのか……
浅草の並木あたりで薬種屋を営む男がいた。数人の使用人を抱えるような店であったという。薬種屋が扱う品の中には、毒薬もあった。こうした毒薬も病状によっては薬として使われるので、店に置いてあるのだ。だが、毒薬は誰彼かまわず売っていいというものではないと昔から決められていた。
ところがある日、この店の主が近所に所用で出かけた際に、ある女性が斑猫という薬を買いに来た。斑猫も毒薬のひとつである。主がいない時には番頭が客の相手をするのだが、そのときはあいにく番頭もおらず、店に勤めはじめたばかりの丁稚が1人いるだけだった。丁稚はまだ薬のことがわからず、客の求めに応じて斑猫を売ってしまった。
少しして主が帰って来たので、留守中の出来事を伝えたところ、主は大変驚き、どんな人に売ったのか、名前は聞いたのかと矢継ぎ早に問うた。しかし、丁稚はそうしたことは聞いていなかった。買ったのは歳のころ30くらいの浴衣を着た女性で小僧をひとり連れていたという。浴衣は目立つ柄だったので、その柄を主に伝えた。
主は、丁稚が毒薬を売ってしまったことを嘆いたが、今さらどういることもできない。こうなったらかねてから信仰している浅草の観音様におすがりするしかないと、急いで出かけた。
「どうか、どうか、あの薬が人に害をなさず、人のためになりますように」
と何度も何度も熱心に祈った。ふと気がつくと、隣で読経などをしている34、35歳くらいの男が目に入った。そして、帰りに一緒になり、どちらからともなく声をかけた。
「あなた様も相当信仰されている方とお見受けいたします。私は、観音様の霊験があらたかと人から教えてもらい、ここ数年来日参しております」
と連れになった男がいった。どうやら夫婦関係が原因らしい。男に問われて薬種屋の主は答えた。
「私はある人に大難がかかるのを避けてほしいと祈っていたのです。この人は誰だかわかりません。だからお願いにあがったのです」
「もっと詳しく教えていただけますですか。もしかしたら私もお力になれるかもしれません」
連れになった男が尋ねるので主は、自分仕事、店の場所、あやまって毒薬を売ってしまったことや、売った相手の年恰好、着ていた浴衣の柄や小僧を連れていたことなどを話した。
「そうでしたか。あなたは人の難儀を避けようとしてあんなに熱心に祈っていたのですね。あれだけ熱心に祈っていたのだからご利益があるといいですね」
連れになった男は、自分は花川戸に住んでいるからいつでも訪ねてくるように言って薬種屋の主と別れた。
花川戸に帰った男は、ふと、自宅の庭に干してある妻の浴衣が目に入った。暑いのにどこかに出かけたようだ。よく見れば先ほど薬種屋の主から聞いた浴衣の柄と同じである。そういえば、妻は30ぐらいと年恰好も一致している。男が帰ったことに気がついた妻が、茶と作りたての餅菓子を持ってきた。
しかし男は「今日は暑かったので、湯に行ってくる。これは帰ってからいただくとしよう」と、着替えの浴衣と手ぬぐいを小僧に持たせて湯屋に出かけた。道すがら自分が出かけた後のことを小僧に尋ねると、小僧は妻は男が出かけた後すぐに浅草の薬種屋に行ったことなどを話した。男はいつものように入浴したのち、観音様を遙拝した時には心が決まっていた。
家に帰ると、再び妻が茶と餅菓子を出した。男は妻に、先に食べるように勧めると、妻は自分はこうした餅菓子は好きではないという。男は妻に里に帰るように言いつけ、妻が出した餅菓子を重箱に入れさせた。そして、この重箱の中身が理由で離婚する旨の手紙を添え、人をつけて妻を里に送り届けた。
薬種屋の主が助けたいと一心に祈っていた命とは自分のことであったと知った男は、以来、薬種屋の主と兄弟のように仲良くなったという。ご利益はこのように偶然に現れるものである。

「東都金龍山浅草寺雪ノ景」/東京国立博物館蔵 提供:ColBase
現在でも多くの参拝客が訪れる浅草の観音様こと浅草寺。江戸時代には、四万六千日(ほおずき市)、歳の市(羽子板市)などの年中行事などを中心に多くの人々が訪れた。