太宰治の乱れた女性遍歴と死の真相とは? なぜ愛人を道連れにして死を望んだのか?
日本史あやしい話
何度も自殺未遂を繰り返した挙句、2人の女性を道連れにして亡くなった文豪・太宰治。彼はなぜ自殺を繰り返し、かつ愛する女性まで巻き添えにしたのか?その死の真相に迫ると共に、彼の心の内を覗いて見たいと思うのだ。
■なぜ作家は自殺する人が多いのか?
「川端康成、三島由紀夫、火野葦平、芥川龍之介…」
何とも錚々たる面々であるが、この人たちに共通することが何か、お分かりだろうか?そう、いうまでもなく、全て自殺した人たちである。
冒頭の川端康成は、ノーベル文学賞を受賞した日本を代表する文豪であるにもかかわらず、神奈川県逗子市のマンションの一室でガス自殺。三島由紀夫は、市ヶ谷駐屯地でクーデター決起を呼びかけた後、割腹自殺。今でもテレビで放映された壮絶な演説姿を覚えておられる方も少なくないだろう。川端康成に先立つこと2年前の1970年11月25日の出来事であった。1960年には、兵隊作家として知られる火野葦平が睡眠薬自殺。1948年には、それまで何度も自殺を試みた太宰治が、愛人・山﨑富栄と心中を完遂させている。その太宰が敬愛して止まなかった芥川龍之介も、1927年、睡眠薬を大量に摂取して死に至るなど、枚挙にいとまがないのである。
これらの御仁たち、いずれもすでに飛ぶ鳥を落とすような名声を獲得し、その後の活躍をも期待された大成者たちだったはず。はたからみれば、それこそ羨ましい限りと、羨望の眼差しで見つめられた方々であった。それなのに、なぜ、わざわざその実り豊かな生を断ち切る必要があったのか、理解に苦しんだ人も少なくないだろう。このうち、「男は男らしく死ぬべき」との強い決意で死に望んだ三島由紀夫や、「ぼんやりとした不安」にかられて服毒自殺を遂げた芥川龍之介などはまだ多少理解できるとしても、何度も女と心中を試みながらも、自身はその都度生き返ったという太宰治だけは、何とも謎めいていて、考えさせられることが多いのだ。ここからは彼の不可解な心の内に入り込んで、その死の謎に多少なりとも迫ってみたいと思う。
■愛情に飢えたが故の女狂いか
太宰治といえば、人妻と心中事件を起こし、女性だけが死んで自殺幇助罪に問われるという自らの体験をもとに描いた『人間失格』が何といっても有名。また、性格が破綻した詩人の妻を主人公とした『ヴィヨンの妻』や、没落貴族の暮らしぶりを描いた『斜陽』など、敗退的かつ自虐的な作風で知られる作家というべきだろう。彼の小説に感化されてしまうと、時として自分を見失わせられてしまうという(筆者も実はその一人であった)、少々厄介な小説家であった。何はともあれ、ここからは、彼の生涯を振り返りながら、その都度、彼がいったい、どのような思いで死に挑んだのか、その心の内に分入ってみたいと思うのだ。
その前に踏まえておきたいのが、彼が青森きっての大地主の家に生まれながらも、病弱な母ばかりか、名士として多忙な父からも愛情を注がれなかったという点である。「人一倍愛情に飢えていた」その心の飢えが、後の複雑な女性関係へと繋がっていったと思えるからである。
また、実家から潤沢な仕送りがあったことも、彼の対人関係に大きな影響をもたらしている。旧制弘前高等学校時代から、青森市内の花街で遊興にふけるようになったのも、仕送りあってのこと。ここで最初に出会ったのが、後に妻となる芸妓・紅子こと小山初代であった。
ちなみに、この頃の出来事として忘れてならないのが、敬愛してやまなかった芥川龍之介が服毒自殺したことだろう。彼が文学へ傾倒し始めたのも、実は芥川の死が大きく影響していると思えるのだ。
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