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「米中対立の幕開け」となった朝鮮戦争 垣間見えるアメリカへの忖度 ソ連はなぜ朝鮮戦争への関与を秘匿したのか? 

忖度と空気で読む日本史


冷戦下、北朝鮮による韓国への侵攻から始まった朝鮮戦争。なぜ、アメリカは軍事介入を急ぎ、ソ連は表立って北朝鮮を支援することを避けたのか。この戦争が戦後日本に与えた影響とは--。


 

■きっかけは米ソによる朝鮮半島の分割占領

 

 朝鮮戦争は第2次世界大戦終結から5年後の19506月、北朝鮮が韓国に侵攻したことで始まった戦争である。

 

 冷戦下において初めて行われた東西両陣営間の戦争であり、中国の参戦により今に続く米中対立の幕開けとなった。その意味で、世界史的にも特筆すべき事件であったといえる。

 

 もう一つの特徴は、東西の盟主であるソ連とアメリカは直接対決せず、それぞれが支援する北朝鮮と韓国を通して戦った「代理戦争」の一面があったことだ。

 

 そもそもの原因は19458月、日本の降伏に伴い朝鮮半島の分割占領を米ソが合意したことにある。38度線を境として北はソ連、南はアメリカの占領下におかれ、冷戦の深刻化とともに分断状態は固定化。そして、1948年に大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が相次いで成立し、それぞれが唯一の正統政府であると主張したことで、半島は緊張に包まれる。

 

 だが、米ソは冷静であった。特にソ連の最高指導者・スターリンはアメリカの原爆に対する警戒から、戦時中に米英と合意した国際秩序の枠組みに忠実で、武力統一に向けた北朝鮮の指導者・金日成(キム・イルソン)の支持要請にも応じなかった。冷徹な独裁者であるスターリンといえども、強大なアメリカには忖度しなければならなかったのである。

 

 しかし、まもなくソ連が原爆の実験に成功し、共産主義国家である中華人民共和国が成立すると、スターリンは金日成の侵攻作戦を了承。1950624日、北朝鮮軍は宣戦布告をすることなく38度線を突破して韓国に侵入し、3年に及ぶ朝鮮戦争が幕を開ける。

 

■アメリカの参戦は国際社会へのメッセージ

 

 対するアメリカの対応は迅速だった。トルーマン大統領はただちに国連安全保障理事会の開催を要求し、ソ連欠席のもとで北朝鮮の軍事行動を侵略と認定。戦闘の停止と38度線までの撤退を決議し、全加盟国に援助を要求した。こうして朝鮮半島は東西冷戦の最前線となったのである。

 

 もともとアメリカは、朝鮮半島への関与に消極的であった。躊躇なく介入に踏み切ったのは、北朝鮮軍の侵攻が一国の行動にとどまらず、共産主義勢力の大攻勢の始まりであると見たためだ。ここで韓国を見捨てれば、同盟諸国や非共産主義国家は激しく動揺し、反自由主義の「空気」が形成されていく危険性があった。アメリカの迅速な軍事介入は、共産主義の脅威から自由主義勢力を守りぬくというメッセージでもあったのである。

 

 こうして開戦から2週間後、国連軍最高司令官となったマッカーサー元帥のもと、アメリカ軍を中心とした国連軍が組織され、朝鮮半島へ出撃した。

 

 この間、北朝鮮軍は破竹の進撃をみせ、開戦3日でソウルを占領、1か月後には最南端の釜山まで国連軍を追いつめた。だが、マッカーサーが仁川上陸作戦を成功させたことで国連軍は息を吹き返し、たちまちソウルを奪還。10月には38度線を突破して中国国境に迫った。

 

 参戦か傍観か、にわかに選択を迫られた中国の指導者の毛沢東はソ連に支援を要請した。だが、スターリンは応じず、ひそかに武器・弾薬・医薬品を提供し、ソ連軍のパイロットに中国軍の制服を着せ、北朝鮮のマークをつけたミグ戦闘機を出撃させるにとどめた。米ソの全面戦争を恐れるスターリンは、今なおアメリカに忖度し、黒幕の立場を貫いたのである。

 

 一方、新国家樹立のためにアメリカを排除する必要があると考えた毛沢東は参戦を決意する。中国義勇軍が次々と鴨緑江(おうりょくこう)を越えていくと、中国の参戦を想定していなかった国連軍は浮足立ち、壊滅的な打撃を受け敗走。38度線以南に押し戻され、ふたたびソウルを奪われてしまう。

 

 やがて戦局は膠着し、19537月、38度線を境界とする休戦協定が結ばれたが、周知のとおり南北の分断は固定化し、現在に至るまで「休戦」状態が続くこととなる。

 

 一方、朝鮮戦争は復興を目指していた日本にも絶大な影響を与えた。戦争の勃発によって軍需物資や輸送・整備などのサービスの提供による「朝鮮特需」が沸き起こり、日本経済を飛躍的に回復させたことはよく知られている。

 

 また、在日アメリカ軍が動員された空白を埋めるため、GHQの指令により警察予備隊が創設され、これが後に自衛隊として発展。日本が再軍備を図る契機ともなった。さらに、戦略的要地としての日本の価値が再認識されたことで対日講和が加速し、19519月のサンフランシスコ講和条約により日本は主権を回復する。

 

 朝鮮戦争は東西冷戦の具現化であるとともに、日本が敗戦から立ち直り、ふたたび自立した国家として歩みだすきっかけを与えた事件でもあったのである。

 

中朝国境に立つ中国軍の銅像

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京谷一樹きょうたに いつき

日本史とオペラをこよなく愛するフリーライター。古代から近現代までを対象に、雑誌やムック、書籍などに幅広く執筆している。著書に『藤原氏の1300年 超名門一族で読み解く日本史』(朝日新書)、執筆協力に『完全解説 南北朝の動乱』(カンゼン)、『「外圧」の日本史』(朝日新書)などがある。

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