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古き良き「グレート大阪」の情景があふれる『王将』 三國連太郎演じる棋士の一代記【昭和の映画史】


■将棋に人生をかけた男の物語

 

『王将』は昭和22年(1947年)、北条秀司の脚本・演出で上演された新国劇の舞台作品である。新国劇は大正6年(1917年)に創立、歌舞伎より実際に近い立ち回りをする時代物で人気を博し、辰巳柳太郎や島田正吾などの大スターを生んだ。しかし、戦後の娯楽状況の変化によって衰退し、昭和が終わる直前の昭和62年(1987年)に解散した。

 

『王将』は続編などを含めて、合計5回映画化されている。最初の映画化は翌年、時代劇の大スターで、田村正和ら三兄弟の父である阪東妻三郎が主演した。監督は戦前から活躍してきた「時代劇の父」伊藤大輔である。移動カメラを使った斬新な撮影法で、名前をもじって「移動大好き」と称された。

 

 かつて日本の中心は関西にあった。千年の都である京都があって、大阪は商人の街として繁栄した。大正時代には、関西の新聞が大挙して東京に進出し、福沢諭吉が創刊した「時事新報」や徳富蘇峰主宰の「國民新聞」、「萬朝報」など明治以来の歴史ある諸新聞を駆逐したのである。その手法はかなりえげつないものだった。

 

 大正時代は特に大阪が非常に栄え、「グレート大阪」「大阪洋行」という言葉が流行したぐらいだった。関東大震災で東京が痛手を受けた時は、大企業が次々に大阪に拠点を移している。

 

 宝塚へ向かう阪急電鉄が沿線を整備し、高級住宅街もできた。大正11年(1922年)には君が代丸が就航し、工業地帯として発展している東大阪へ、仕事を求めて済州島から朝鮮の人々が大勢やってきた。

 

 戦争中はアジア最大の軍需工場を抱え、玉音放送前日の空襲によって壊滅的被害を受けるも、復興して西日本の中心として栄える。そんな状況を変えたのは、東海道新幹線の開業である。起点を東京に置いた新幹線は文化の一極集中を加速させ、大阪の地盤沈下を招くことになった。

 

 今年開催された大阪万博は、カジノを含む統合型リゾートにつなげ、今後の経済基盤を作ろうと企図して誘致されたものである。関西財界が全力で後押しし、工事代未払いなど多くの問題を残しながらも、それなりに賑わって閉幕した。

 

 中国の建国記念日である国慶節で今年、人気の海外旅行先第一位は大阪だった。確かに大阪には大きな潜在力がある。だがカジノは、大阪の豊かな文化的水脈とつながるのだろうか。

 

 この映画『王将』は、大阪の土地柄と文化について、日本中に一つのイメージを広めた作品である。明治の終わり、通天閣が見える天王寺の長屋で暮らす、将棋好きの坂田三吉が主人公だ。坂田は眼病を患いながらも、家業の草履造りそっちのけで将棋に熱中している。

 

 当然、家計は苦しい。東京の棋士との対抗試合に行きたいがお金がないので、仏壇を質に入れて出かける。しかし、気鋭の関根七段との試合に負け、その悔しさから、プロ棋士を目指すことを決意する。だが帰宅してみると、妻の小春は家出しようとしていた。坂田は必死で謝るのだった。

 

 しばらくして、朝日新聞主催の将棋大会への案内状が届く。当然お金がなく、今度は娘・玉江の一張羅を質に入れた。それを知った小春は絶望的になり、玉江と赤ん坊を連れて自殺を図る。

 

 その知らせを聞いて戻ってきた三吉は、将棋をキッパリやめると決意し、将棋の駒を火の中に投げ入れた。それを見た小春は、「どうせなら日本一の将棋指しになれ」と三吉を励ますのだった。そして後援者の後押しもあり、坂田はプロになる。

 

 大正2年(1913年)、七段となっていた三吉は関根八段と京都で対局する。三吉は苦戦するが奇手「二五銀」で勝った。三吉の関係者は喜ぶが、娘の玉江は「苦し紛れの山勘だった」と批判し、三吉も認める。

 

 その後も三吉は関根七段と戦い続けた。成績は106敗で三吉が勝ち越していた。だが東京では、三吉を無視して関根を名人にする話が持ち上がっていた。三吉の有力後援者は「関西名人」を名乗るか、それとも「名人位を争う勝負を挑むか」と迫るが、三吉は「将棋台と相談する」と答えるのだった。

 

 古き良き大阪の風情が画面一杯にあふれ、浪花節そのものの世界が展開する。昭和31年(1961年)には、西条八十が作詞して村田英雄が歌った『王将』が大ヒットした。

 

 この歌詞が本当に素晴らしいのだ。特に3番の冒頭、「明日は東京に出ていくからは 何がなんでも勝たねばならぬ」という歌詞には、大阪を背負って東京に向かう三吉の心意気が、見事に表現されている。

 

 この歌詞がメロディーに乗って流れる時の、役者たちの表情もいい。坂田三吉を演じたのは三国連太郎。時代劇の大スターだった阪妻とは違う、破天荒さが出た。

 

 三國連太郎は178センチ70キロという大柄で、戦後日本映画に大きな足跡を残した名優である。戦前戦中の過酷な時代を生きてきた人は、実人生の重みが違う。

 

 中学校を中退し、父親の暴力から逃れるために中国に密航し、召集令状が届くと逃亡した。戦後は中国から早く帰国するために、同姓の女性と偽装結婚したと告白している。結婚も4度繰り返す、波瀾万丈の人生だった。晩年は『釣りバカ日誌』シリーズで枯れた姿を見せていた。

 

 小春役の淡島千景は、夫の道楽で生活に疲れ果てた妻を演じても、なお美しい。娘・玉枝役の三田佳子も若さが輝いている。撮影法にこだわりがあった伊藤監督の映像も印象的だ。映像なども美しく、見応えがある。

イメージ/写真AC

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川西玲子かわにしれいこ

1954年、東京生まれ。(公社)日本犬保存会会員。専門学校や大学で講師を務めた後、現在は東アジア近代史をメインに執筆活動を行う。主な著書に『歴史を知ればもっとおもしろい韓国映画』、『映画が語る昭和史』(ともにランダムハウス)、『戦時下の日本犬』(蒼天出版)、『戦前外地の高校野球 台湾・朝鮮・満州に花開いた球児たちの夢』(彩流社)など。Amazonに著者ページあり。

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