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若き秋山真之海軍大尉とアメリカ海軍大学校教授アルフレッド・セイヤー・マハン大佐の出会いはどのようなものであったのか?

軍事史でみる欧米の歴史と思想


■アメリカで海軍戦術を研究した若き日の秋山真之

 

 秋山真之(さねゆき)は、1904年以降の日露戦争中に、連合艦隊の先任参謀として重要な艦隊作戦を一手に引き受けて実施したことで有名である。その模様を紹介した司馬遼太郎の長編歴史小説『坂の上の雲』はよく知られていよう。後に大活躍した真之は、29歳のころアメリカに留学し、当時高名な海軍戦略思想家であったAT・マハン大佐と初めて面会した。その時の会話を、『坂の上の雲』よりくわしく活写していた島田謹二著『アメリカにおける秋山真之』に基づいて点描しつつ、戦略や戦術に関するマハンの背景もうかがってみよう。

 

 マハンに対して真之はまず、駄目元と知りつつ、アメリカの海軍大学校への入学が可能かを問うた。案の定マハンは、同校が仮想敵国に対する作戦計画等を研究し、それがアメリカの正式な国防案になるため、外国人海軍士官の入校は従来どおり難しいと答えている。入学をあきらめた真之は、以後自力で海軍戦術を研究する場合、どうすべきかをさらに質問した。これに対しマハンはまず、陸上・海上など戦場の場所や時代にかかわらず、あらゆる戦史を調査研究することを勧め、次に戦史の権威の著書を読み解くことも勧めた。著書の具体例としてはジョミニの英訳版『Art of War』をあげ、加えて戦略・戦術の原則は陸・海上で同じで応用手段が違うだけだから、フランス陸軍の同書も理解すべきだとマハンは力説した。

 

 この辺り、マハンの背景がうかがい知れるところである。彼自身はアナポリスの海軍大学校で戦史・戦略を教えていたが、彼の父デニス・ハート・マハンはウエストポイントの陸軍士官学校で戦術を教え、同校ではジョミニの影響が強かったからである。またマハン父子の例のように、アメリカの陸海軍では、陸軍将校と海軍士官の間の相互影響力が大きかった。AT・マハンを教官として招いた海軍大学校の初代校長スティーヴン・ルースは、陸軍のエモリー・アプトン准将と交流し、とりわけ戦略の重要性を認識していた。戦略の「原則」が存在し、それがどこでも同じだとするAT・マハンの考えには、アプトンやルースらの思想が色濃く反映されていたと言えよう(中野耕太郎ほか編『アメリカが創る世界、世界が創るアメリカ』第3章参照)。DH・マハンが陸軍士官学校にいたので紛らわしいが、死後にアプトンは、軍事思想家としての側面で「陸軍の[AT]マハン」と逆に評された。

 

 なお事情は、日本でも似ていた。真之自身、渡米にあたり、陸軍将校の兄好古(よしふる)に借りた本『戦略論』(プロイセンの陸軍将官ヴィルヘルム・ブルーメ著)だけを持参していたからである。家族で陸海軍に勤務し、影響しあうのは日米でよく似通っていた。

 

 真之との初対面の最後にマハンは、陸軍関係の書物だけでなく、最新の自著『ネルソン伝』もちゃっかり推薦していた。そして彼は、首都ワシントンDCにある海軍省の文庫に収められた大量の戦史や記録を活用することも真之に勧めたのである。こうしたアドバイスに従って真之は、自力で研究し始めることになる。彼の研究成果がいかなるものになったのかについては、今後紹介してみたい。批判的精神を失わなかった点はさすがであった。

『三笠』艦橋の光景。中央にいるのが東郷平八郎、その右に立つのが秋山信之。
『提督秋山真之』より/国立国会図書館蔵

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布施将夫ふせまさお

京都外国語大学・京都外国語短期大学教授、学生支援部長。京都大学博士(人間・環境学)、関西アメリカ史研究会代表幹事。専門は19世紀後半における欧米の軍事史。主な著書に『補給戦と合衆国』(松籟社,2014)、『近代世界における広義の軍事史―米欧日の教育・交流・政治―』(晃洋書房,2020)、『欧米の歴史・文化・思想』(晃洋書房,2021)など。

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