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オイルショックの時代に東北の寒村を描いた『津軽じょんがら節』 日本の土着的な風土を描き出した昭和の名作


■日本における「東北」のイメージ

 

 日本人が東北について真剣に考えるようになったのは、東日本大震災以後のことではないだろうか。日本人はそれまで、東北が持つ豊かな文化や伝統芸能について、正当な評価をしていなかったように思う。

 

 東北に関して多くの日本人が持っているイメージは、たとえば「おとなしい」「我慢強い」「寒い」「雪が多い」というものだったのではないか。昭和初期の不況期には娘が身売りされるほど困窮し、東北出身者が多かった陸軍の暴走につながったと言われている。

 

 高度成長期になると、東北から多くの農業従事者が出稼ぎにやってきた。また東京で住み込みで働くため、中学校の卒業式から制服のまま列車に乗って上野駅にやってくる「金の卵」が、東北のイメージになった。多くの農業従事者がいたこの時期に、出稼ぎに行かなければ生活できないほど農業を軽視したツケが、いま回ってきているのである。

 

 はるか昔、大和政権の頃、東北は服従しない異民族として「蝦夷」(えみし)と呼ばれていた。奈良時代から平安初期には、蝦夷の族長である阿弖流為(アテルイ)が朝廷軍と戦って降伏し、処刑されている。

 

 反逆者として長く異端視されてきたが、2000年代に入ってブームが起こり、アテルイの名が広く知られるようになった。7代目市川染五郎主演で舞台化され、歌舞伎にもなった。ミュージカルにもなり、宝塚も上演した。

 

 宮崎駿のアニメ『もののけ姫』の自然描写は、屋久島ともう一つ、青森から秋田にかけて広がるブナの原生林、世界遺産・白神山地である。アシタカは蝦夷だという解釈がある。

 

 平安末期から中世の初期には奥州藤原氏が栄えたが、周知の如く、源義経をかくまって頼朝に滅ぼされている。江戸時代には仙台藩や会津藩、米沢藩、加賀藩などの有力藩もあった。しかし、戊辰戦争の舞台となって被害を受け、朝敵として冷遇された

 

 昭和初期の大恐慌時には、困窮から娘の身売りが横行し、東北出身者が多かった陸軍将校たちの暴走につながったと言われている。特に会津藩出身者は軍人になる以外、出世の道はなかった。

 

 北清事変(義和団の乱)の際、北京に進軍した8カ国連合軍のうち、日本軍の司令官・柴五郎は、その優れた指導力と人格で各国兵士やジャーナリストから尊敬され「ジェントルマン・サムライ」と呼ばれた。それが日英同盟締結の下地を作ったとも言われている。

 

 柴は会津藩士の子で、戊辰戦争で一族の女性全てを自決で失い、追放先の斗南藩で苦労を重ねた。その壮絶な半生は『ある明治人の記録:会津人柴五郎の遺書』(中公新書)で知ることができる。 

 

『津軽じょんがら節』は、オイルショックが日本を襲った直後の昭和48年(1973年)10月に公開された。豊かな日常がいきなり終わった衝撃の中で、東北の寒村を描いたこの映画は強い印象を残し、キネマ旬報の邦画一位に選ばれている。

 

 そこに描かれていたのは、豊かさが都会に集中する中で、取り残されたような東北の風景だった。それは今まで都会人が見ようともしなかった、ほとんど視野に入っていなかった生活だった。

 

 故郷の津軽から東京に出て、バーで働いていた中里イサ子が故郷に帰ってくる。他の組の幹部を刺してしまったヤクザの愛人、徹男を助けるため、父親を頼ってきたのだった。

 

 しかし、父と兄は漁で命を落としたらしい。遺体は見つからず保険金も降りず、実家は人手に渡っていた。あてが外れたイサ子たちは、海辺のバラック小屋を借りて住む。収入を得るため、イサ子は村に一軒しかないバーに働きに出る。

 

 娯楽も何もない漁村に徹男はうんざりで、イサ子だけ働かせ、自分は花札をして暮らしている。だが、ある日、目が見えない少女ユキと知り合い、さらに漁師の為造とも親しくなって、しじみ漁を手伝うようになる。

 

 次第に徹男が村に馴染んでいく一方で、イサ子は疎外感を味わう。せっかく入ったお金も、同僚に持ち逃げされてしまった。イサ子は再び村を出ていく決心をし、徹男は村でユキと暮らす道を選ぶ。だが、二人の平穏な生活は続かなかった。

 

 監督の斉藤耕一はカメラマン出身で、プロダクションを設立し、『約束』『旅の重さ』、そして『津軽じょんがら節』と立て続けに佳作を発表した。いずれも日本の土着的な風土を背景としており、オイルショック後の社会的停滞と日本回帰という、時代の刻印を残すものとなった。

 

 その独特の映像美は、津軽三味線の調べと共に、この映画全体の印象を決定づける役割を果たしている。特に冒頭と最後のシーン、目の見えないユキが波打ち際に座って、向かい合った瞽女の津軽三味線を聞く場面は素晴らしい。冒頭の場面の意味が、最後にわかるようになっている。

 

 脚本は中島丈博。情念を描くのが得意で、この作品の他、キネマ旬報脚本部門2位になった『祭りの準備』、ベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞した『絵の中のぼくの村』などの脚本を手がけた。

 

 90年代半ばからは、東海テレビの昼ドラ『真珠夫人』『牡丹と薔薇』などでドロドロの愛憎劇を描き、社会現象になるほどのヒットとなっている。イサ子を演じたのは江波杏子で、実に美しい。

 

 もっとも、東北が全て寒村であるわけはない。仙台や盛岡のような歴史ある都会もある。監督の斎藤は東京の生まれ、脚本の中島は京都生まれの高知育ちだ。東北を舞台にこういう物語を描いたこと自体、近代以降、日本社会に根付いてきた東北のイメージが影響したとも考えられる。

 

 民俗学者で学習院大学教授の赤坂憲雄は、東京中心の東北観に異議を唱える「東北学」を提唱したことで知られている。代表作『東北学/忘れられた東北』は文庫で読めるのでお勧めしたい。

イメージ/写真AC

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川西玲子かわにしれいこ

1954年、東京生まれ。(公社)日本犬保存会会員。専門学校や大学で講師を務めた後、現在は東アジア近代史をメインに執筆活動を行う。主な著書に『歴史を知ればもっとおもしろい韓国映画』、『映画が語る昭和史』(ともにランダムハウス)、『戦時下の日本犬』(蒼天出版)、『戦前外地の高校野球 台湾・朝鮮・満州に花開いた球児たちの夢』(彩流社)など。Amazonに著者ページあり。

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