男女の愛憎を通じて敗戦後の日本を生きた女性の生き様を描く『浮雲』【昭和の映画史】
■波乱の生涯を通じて戦後日本の社会を描く
『浮雲』は成瀬巳喜監督の代表作である。小津安二郎が、「俺が撮れないシャシンは、溝口の祇園の姉妹と、成瀬の浮雲だ」と言ったことは有名である。成瀬幹男は女性映画の名手と言われ、多くの名女優がスクリーンを飾った。
成瀬の作品は生前、女性を描いた大衆映画として一定の人気を博していたが、それは名声というほどのものではなかった。没後、熱心なファンによって海外に紹介され、日本を代表作する映画監督の一人となったのである。
成瀬は、その当時の女性を描くことによって、時代や世相を浮き彫りにすることに長けていた。小津安二郎は、近代的な市民生活を描く乾いた作風だ。それに対し、成瀬の世界はしっとりした感じがする。ある程度の人生経験を経て初めて、成瀬の良さがわかるのではないか。
成瀬は『稲妻』『放浪記』『めし』など、林芙美子原作の小説を映画化する時、特に本領を発揮した。森光子が長く演じたことで有名な舞台『放浪記』で知られる林芙美子は、行商人の子として苦労しながら育った。
その半生を綴ったのが『放浪記』である。これがベストセラーになって、以後も自伝的作品で人気を集めた。尾道で女学校を卒業した林は、東京で職を転々としながら底辺を逞しく生きる。
そして作家たちと交流するようになり、幾多の男性たちと出会いや別れを繰り返しつつ、少しずつ作家としての地歩を固めていった。やがて雑誌に連載した自伝的小説『放浪記』が売れて流行作家となる。
すると印税で中国やパリに一人で旅行し、ロンドンでも暮らした。この行動力が買われたのか、昭和12年(1937年)の南京攻略戦に特派員として派遣された。翌年の武漢作戦には、内閣情報部の役員として同行、漢口一番乗りを果たし、東京朝日新聞に従軍記が掲載された。
日米開戦後は全国を回って時局について演説し、満州や朝鮮にまで足を伸ばしている。陸軍報道班員としてシンガポールやジャワ島なども訪れた。戦争中、最も活動した作家の一人である。戦後も流行作家として書き続けたが、戦時中の活動への批判は残った。
『浮雲』は、2021年に亡くなった作家の田辺聖子が、「ユニークな敗戦文学の傑作」と評した作品である。戦争中に南方で出会った男女の、別れと復活を繰り返す日々を描いた物語だ。林文学の頂点とも言える作品で、林芙美子だからこそ書けた世界である。男女を描きつつ、敗戦という過酷な現実に翻弄される日本人の姿を浮かび上がらせた。
井上ひさしは2002年、林を主人公にして『太鼓たたいて笛ふいて』という舞台を上演した。その最後で「戦後の6年間は、戦さに打ちのめされた日本人の悲しみを、ひたすらに描き続けた」というナレーションを流している。
太平洋戦争中、南方に行った日本人のことはあまり知られていない。歴史問題も中国韓国との関係で語られることが多く、東南アジアに及ぼした被害や、70年代に起きた激しい反日デモも忘れられている。
昭和18年(1943年)、主人公のゆき子は農林省に雇われ、タイピストとして仏印(今のベトナム)へやってきた。そこで技師の富岡に出会う。富岡はちょっと危険な魅力を放っていて、現地採用の女性とも懇意らしい。
第一印象が悪かっため、ゆき子は富岡にいい感情を持てなかった。しかし、やがて付き合うようになる。富岡にはそういう抗いがたい魅力があった。やがて終戦を迎え、富岡は妻とは別れると言い残して先に帰宅する。だが、後から帰国したゆき子が富岡の家を訪れると、出てきたのは妻だった。
富岡と別れ、よるべないゆき子は米兵に声をかけられ、成り行きで情婦になって生活する。しかし富岡を忘れられない。結局、ゆき子は米兵と別れて富岡に会いに行き、二人は気分転換も兼ねて、伊香保温泉に旅行に行くことになる。その宿には主人とは歳の離れた若い妻、おせいがいて二人は一目で惹かれ合う。
それに気づいたゆき子は去る。しかし、ゆき子は妊娠していた。そこで富岡を尋ねると、伊香保で出会ったおせいと同棲していたのだ。ゆき子は義兄に借金をして中絶し、そのまま義兄の愛人のようになる。実は仏印に行く前、ゆき子は義兄から性的暴行を受けていた。
だがそこに、妻を亡くした傷心の富岡が現れるのである。このように、ゆき子は富岡と完全に別れることができず、ずるずると関係を続ける。ゆき子は仏印での日々が夢のように跡を引き、時に富岡にすがりつきながら敗戦後の日々を生きるのである。
ゆき子の刹那的な、どこか投げやりな男性関係は、恐らく性被害を受けたことと無関係ではない。これは当時、日常的と言っていいほど多かった。それは表に出ないだけで今でも続いており、言動がおかしくなって消えていった女性芸能人が、実は性加害を受けてたというケースもある。
最後、ゆき子は屋久島に赴任する富岡に無理やりついていって、豪雨の中で息絶えることになる。この物語は一見、主体性がなく過去を忘れられない女性の、無軌道な生き方を描いているように見える。
だが実は心身に傷を受け、敗戦後の社会を一人で生きなければならなかった、ある日本女性の悲劇を描いた物語なのだ。ゆき子を通して、この映画は敗戦後の荒んだ社会状況を浮き彫りにした。時代性と普遍性を兼ね備えた、極めて社会派的な映画ということができるだろう。
主演の高峰秀子は脚本を読んで、この役は私にはできないと断っている。しかし成瀬に説得されて出演し、代表作の一つとなった。富岡を演じる森雅之は、作家・有島武郎の遺児。知的でクールな二枚目として大人気を博し、黒澤映画でも活躍した。
ベネチア国際映画祭金獅子賞、アカデミー名誉賞などを受賞し、戦後日本映画の世界進出の先駆けとなった『羅生門』では、武士役を演じている。本作では女性にだらしない勝手な男を演じて、森雅之だからこそ出せた虚無的な雰囲気が成功している。
太平洋戦争開始のきっかけになったのは真珠湾攻撃ではなく、仏印進駐である。昭和15年(1941年)9月の北部仏印進駐に続き、翌年7月の南部仏印進駐がアメリカに石油の全面禁輸を決意させた。この事態を予想できなかった見通しの甘さは今日まで引き継がれ、日本の大きな弱点になっているように思われる。

イメージ/イラストAC