「萎える」事後に柔らかくなった陰茎のこと【江戸の性語辞典】
江戸時代の性語96
我々が普段使っている言葉は時代とともに変化している。性に関する言葉も今と昔では違う。ここでは江戸時代に使われてた性語を紹介していく。
■萎える
勃起前のやわらかな状態の陰茎、あるいは射精後の柔らかくなった陰茎の状態をいう。
ED(勃起障害)やインポテンツのことは、萎え魔羅や陰萎(いんい)といった。

【図】萎えた陰茎を見て。『優競花の姿絵』(西川祐信/享保18年頃)、国際日本文化研究センター蔵
(用例)
①春本『優競花の姿絵』(西川祐信、享保18年頃)
高齢の男と、若い女。
男「また、萎えた。いろうて、生(お)やそう」
女「ええ、惜しいこと。二度、ならぬ」
男は女の陰部をいじることで、萎えた陰茎を勃起させようとしている。「生(お)やす」は、勃起させること。
【図】は、焦る男と、残念そうな女。
女は続けて二度を期待していたようだ。
②春本『女酒呑童子枕言葉』(奥村政信、元文2年頃)
勃起した陰茎に肥後ずいきを巻いて挿入したとき、
このずいきは、生(お)えたる間に巻きたてて、入れてから萎ゆれば、巻きながら蛇の衣を脱いで穴の中に置いてきたるように、玉門の中にとどまり、
「ずいき」は肥後ずいきのこと、第51回参照。
途中で萎えると、肥後ずいきがはずれて、膣の中に残ってしまう。蛇の脱皮にたとえているのが面白い。
③春本『百入一出拭紙箱』(北尾雪坑斎、安永3年頃)
女のいまだきざさぬに、魔羅の生(お)ゆるにまかせ、強く出入りすれば、男の淫、早く漏れ、女の気をやらぬうちに、魔羅、萎ゆるものなり。
男が性急に挿入しようとするのを戒めている。
④春本『艶本多歌羅久良』(喜多川歌麿、寛政12年)
竹介は主人の妻のお虎を、ついに口説き落とした。そして、二度目にいどむ。
お虎さまをいだき上げ、茶臼にしての二度の楽しみ。お虎はいっそ声細く、
「もう、もう、息がはずむほどに、許して、許して」
というもかまわず、半萎えの大魔羅にて、濡れたる開(ぼぼ)のふちをこすれば、つい、ヌラヌラとはまりし嬉しさ。持ち上げ、持ち上げ、突き立つれば、開の中にていきり出し、
一回目の射精で竹介の陰茎は半分、萎えていたのだが、茶臼で始めると、お虎の膣の中で再び勃起し始めたのだ。
⑤春本『祝言色女男思』(歌川国虎、文政8年)
精力絶倫の老人が妾と八回もしたあと、述懐する。
「今夜は十番してみようと思ったが、たった八番したら、へのこが萎えたうちがおかしい。やっぱり、これが歳のおかげだ。そして、体の肉が落ちるというが、へのこの肉まで落ちるかして、若い時よりだいぶ小さくなったようだ」
八回したら萎えてしまい、勃起しなくなったという。
もちろん、春本のふざけと誇張である。