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朝ドラ『あんぱん』火の海となった街で400人以上が死亡 焼夷弾が降り注いだ「高知空襲」の悲劇

朝ドラ『あんぱん』外伝no.44


NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』は、第12週「逆転しない正義」が放送された。のぶ(演:今田美桜)の元に、夫・次郎(演:中島 歩)から便りが届く。次郎は病気で海軍病院に入院していた。夫婦が再会を喜んだのもつかの間、のぶが暮らす高知市は大規模な空襲を受けた。そして、日本は終戦を迎え、それぞれの場所で玉音放送を聞く。今回は、高知空襲を取り上げる。


■深夜に焼夷弾が降り注ぐ

 

 太平洋戦争において、日本本土が初めて空襲を受けたのが昭和17年(1942)4月18日の「ドーリットル空襲」である。その後、昭和19年(1944)8月までにマリアナ諸島を奪取したアメリカは、急ピッチで飛行場を建設し、B29による本土空襲を本格化させていく。

 

 高知市への空襲は、昭和20年(1945)1月19日に端を発する。同日午後7時40分、B29100キロ爆弾21個を投下した。その後、3月7日、6月1日、7日、19日、22日、26日と断続的に空襲が行われている。

 

 高知市内では、人手不足となった農村の働き手の補充も含めて学徒隊も動員した食糧確保が急務となっていた。また、衣服の規制も厳しくなり、徹底して簡素な衣服を身に着けることが厳命されるとともに、生活必需品とみなされるもの以外の衣類の生産にも規制がかかっていた。人手も物資も足りず、苦しい生活を送りながら、人々はいつ来るともわからない空襲に怯えていたのである

 

 そして、7月4日深夜、125機のB29が高知市上空に姿を現した。午前2時頃から爆撃が始まり、約1時間の間に潮江地区、小高坂方面、市街中心部に油脂焼夷弾を大量に投下した。高知の街はまたたく間に火の海になり、歴史的建造物を含む街のことごとくが焼き払われた。死者は400人超、罹災人口は4万人超という大きな被害を受けたのである。

 

 高知市への最後の空襲は7月24日午前のことで、11トン爆弾3個が投下され、これをもって高知市への空襲は終わりを迎えたのである。

 

 遺体は仮埋葬した上で、供養祭が行われた。また、住居を失った人々に対しては、他の地域に頼れる家族や親戚などがいる場合はそちらへ移れるよう、国鉄と協力して罹災証明書の発効による無賃乗車などを実施。行き場のない人々は市内の学校や寺社などで過ごすようになったという。

 

 焼け野原で人々がどうにか生きのびようと手を取り合うなか、8月15日正午からラジオで放送された玉音放送によってポツダム宣言の受諾と日本の降伏が国民に公表されたのだった。

7月4日の高知空襲時に米軍が撮影した街/米国立公文書館蔵

<参考>

■総務省「高知市における戦災の状況(高知県)」
■『高知市戦災復興史』

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歴史人編集部れきしじんへんしゅうぶ

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