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金持ちから「1億円以上」を盗み、死罪になった「ねずみ小僧」の正体 貧民に金を分け与えた痕跡はゼロだった

炎上とスキャンダルの歴史


義賊として有名な「ねずみ小僧」だが、じつは奪った金を貧民に分け与えたという逸話は創作で、盗んだ富は自らギャンブルや吉原通いに費やしていた。なぜ、彼は江戸庶民の「ブラックヒーロー」になったのか? その実態に迫る。


 

■武家屋敷に「120回以上」侵入

 

 創作物の中では「義賊」――金持ちから金を奪って、貧しき民に分け与える正義の盗賊ということになっている「ねずみ小僧」。しかし、それはそろそろ幕末になるかという時代の江戸市中を騒がせた実在の盗賊・治郎吉(じろきち)の逸話から生まれたフィクションにすぎません。

 

 史実の「ねずみ小僧」こと治郎吉が捕まったのは天保3年(1832年)4月のこと。浜町にあった松平宮内少輔こと松平忠恵(まつだいら・ただしげ)の屋敷に忍び込んで捕らえられています。取り調べを担当したのは、北町奉行所の榊原忠之(さかきばら・ただゆき)でした。

 

 治郎吉は10年前から98箇所もの武家屋敷に合計120回以上侵入。合計3120両(一説に1万両)も盗み、それらすべてを博打や吉原での放蕩、酒食に費やした罪を問われ、死罪とされたのです。

 

■貧民の家に小判を投げ入れた痕跡はなかった

 

 江戸時代後期の1両は現在の5万円くらいでしょうか。すると最低でも窃盗総額は1億5600万円……。庶民がギャンブルや女遊びに注ぎ込んでよい額をはるかに超えてしまっています。

 

 ちなみに、治郎吉が時代劇のワンシーンのように、貧民の家に小判を投げ入れた形跡はゼロ。しかし、10年間も武家屋敷ばかりを狙って盗みを成功させてきた治郎吉の手腕に庶民たちは感嘆し、「ねずみ小僧」という異名で呼ばれるようになった治郎吉は、彼らの中では立派なブラックヒーローだったのです。

 

■化粧を施され、江戸市中を引き回されたのち斬首

 

 その治郎吉がいよいよ江戸市中を引き回されるという8月19日、往来には大観衆が集まりました。

 

 当時の世相について書き記した『浮世の有り様』や『甲子夜話』という書物には、彼は派手な着物姿で、薄化粧をして唇には紅まで引いていたとあります。逮捕当時の治郎吉は36歳。

 

 小太りで小柄なオジサンだったようですが、メイク男子……誰の発案かは知りませんが、まるで役者のようにめかしこんで江戸中をパレードし、(一説に)荒川の小塚原刑場で斬首された後、その首は浅草で晒されました。

 

『甲子夜話』を書いた松浦静山(まつら・せいざん)は大名家の生まれですが、この手のゴシップに興味津々で、使者を派遣し、噂の「ねずみ小僧」の人相を確認させたところ、柔和で色白、まったく犯罪者には見えず、本当に普通の職人のようだったといいますね。そんな治郎吉も、ギャンブルの誘惑には勝てなかったのでした。

 

■用心深い一方、ギャンブルは弱かった

 

 時代劇の「ねずみ小僧」は千両箱を盗み出し、屋根の上を全力疾走しているイメージがありますが(そして、そんな重たい箱を抱えて逃げられるわけがないとツッコまれたりしていますが)、実際の治郎吉は非常に用心深く、一度に1000両どころか10両も盗まなかったようです。

 

 しかし結局、博打と吉原通いなどですべてを溶かし、手元金がなくなるとまた武家屋敷に盗みに入ることの繰り返し。博打は大好きだが弱く、負けまくりだったそうですよ。

 

 治郎吉の女房は4人いました。水商売あがりの女たちに金を渡し、彼女たちを住まわせている家を転々として生活するのが治郎吉流。同じところに留まると自分の情報が漏れてしまうのを避けるための観点です。

 

 こうして見る治郎吉は盗人より、むしろそういう犯罪者を追いかける岡っ引きなどに向いていたような気がしてなりません。「大の博打好き」という短所がなければ、治郎吉は「ねずみ小僧」にならなくても済んだかもしれない……そう思うと少し残念な気がしますね。

 

豊原国周「鼠小僧次郎吉 尾上菊五郎」(東京都立図書館)

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堀江宏樹ほりえひろき

作家・歴史エッセイスト。日本文藝家協会正会員。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。 日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。最新刊は『日本史 不適切にもほどがある話』(三笠書房)、近著に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)、『こじらせ文学史』(ABCアーク)、原案・監修のマンガに『ラ・マキユーズ ~ヴェルサイユの化粧師~』 (KADOKAWA)など。

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