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神社の門と舞台が一体化? 江戸時代後期の農村で盛り上がった特徴的な遺構 上谷上天満神社/兵庫県神戸市

神社仏閣好きラノベ作家 森田季節の推し寺社ぶらり【第10回】


津々浦々の神社・仏閣を訪ね歩くことを趣味にしているライトノベル作家の森田季節さん。全国に約16万もあるという神社・仏閣の中から、知見を生かしたマニアックな視点で神社・仏閣を紹介! あなたをめくるめく寺社探訪の旅に招待します。興味を持った方はぜひ現地に訪れてみよう。


 

上谷上天満神社の鳥居と舞台。 撮影:森田季節

 

■農村歌舞伎舞台の中でも、さらに特殊な作り

 

 神社を訪れた際に、演劇の舞台みたいな建物があると思われたことはないでしょうか。四面が吹き抜けの神楽殿がある神社もありますが、中にはそういった神楽を舞う場所とは雰囲気が違う、もっと横長の建物を想像された方もいるかと思います。

 

 この手の主に横長の建物はよく農村歌舞伎舞台と呼ばれます。江戸時代、神社で歌舞伎などを上演することが増えてきました。その関係で、今でも江戸時代後期、あるいは明治時代に建てられた農村歌舞伎舞台がけっこう各地の神社で残っています。

 

 今回はそんな農村歌舞伎舞台の中でも、特殊な作りの舞台がある神社を紹介します。神戸の観光の本を探すと9割方海沿いの写真ばかりが出ていますが、山を越えた北側のほうにも市域が広がっています。田んぼが広がっている集落に目的の上谷上(かみたにがみ)天満神社があります。

 

 神社の前に来ると、鳥居のすぐ奥に茅葺きの門が見えて、これはいい雰囲気の神社だなと思うのですが、この「門」をくぐって振り返ると、この建築が本来は農村歌舞伎舞台だとすぐに気付きます。舞台を突っ切って、境内に入る構造になっているわけです。「門」として神社の前から目にする時は見上げる形になるためか小ぶりに感じるのですが、中を通過してから振り返ると、十分に演劇ができるようなサイズの舞台だったんだと実感します。そこまで考えてこの舞台を作ったとすると、なかなか巧みですね。

 

上谷上天満神社の農村歌舞伎舞台を背後から。撮影:森田季節

 ちなみに、舞台を「門」として使う様式は、ほかの土地でも見られます。たとえば、東京の奥地にいくつか例があります。青梅線の川井駅が最寄りの川井八雲(かわいやくも)神社の舞台や、隣の古里(こり)駅近くの小丹波(こたば)熊野神社の舞台がそれです。ただ、現地に行ってみると、「門」というよりは「壁」と感じます。とくに小丹波熊野神社のほうは出入り口部分以外を封鎖するかのごとく板で打ち付けていて、かなり衝撃的です。

 

小丹波熊野神社の舞台。一周回ってオシャレな空間に思えてくる。撮影:森田季節

 じゃあ、なんで「門」と舞台を一緒くたにするんでしょうか。真相は当時作った人たちに聞かないとわからないですが可能性を考えるならば、土地を効率的に使いたかったからでしょう。「門」が舞台を兼ねていれば、境内の奥に入ったお客さんは振り返れば舞台がよく見えます。神社は社殿がある側が通常はより高台になってますから、社殿あたりの石段や石垣に座れば、「門」の位置にある舞台での演劇はちょうどよく鑑賞できるはずです。

 

社殿から見下ろす位置にある川井八雲神社の舞台。撮影:森田季節

 紹介した神社はどれも駅から徒歩でアクセスできる場所にあります。人生でたまには農村歌舞伎舞台を見に行きたくなる瞬間も来ると思います。そんな時に参考にしていただければ幸いです。

 

 

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過去記事

森田季節もりたきせつ

1984 年生まれ、兵庫県出身。作家。東北芸術工科大学特別講師。京都大学文学部卒業、京都大学大学院文学研究科修士課程中退(日本史学専修)。大学院在学中の2008年、『ベネズエラ・ビター・マイ・スウィート』で第4回MF文庫Jライトノベル新人賞優秀賞を受賞してデビュー。主な著書に『スライム倒して300年、知らないうちにレベルMAXになってました』(GAノベル)、『物理的に孤立している俺の高校生活』(ガガガ文庫)、『ウタカイ 異能短歌遊戯』(ハヤカワ文庫)などがある。

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