男子出産の「重圧」を背負わされた藤原威子
紫式部と藤原道長をめぐる人々㊼
12月8日(日)放送の『光る君へ』第47回「哀しくとも」では、藤式部(とうしきぶ/のちの紫式部/吉高由里子)が大宰府から都に戻る様子が描かれた。式部の無事を確認した藤原道長(ふじわらのみちなが/柄本佑)が安堵するなか、正妻の源倫子(みなもとのともこ/りんし/黒木華)は式部を呼び出したのだった。
■長い旅を終えて藤式部が京に戻る

伊勢神宮内宮の鳥居(三重県伊勢市)。藤原威子や後一条天皇は、香取・鹿島両社に代理人を参詣させるなど、並々ならぬ思いで皇子誕生を願った。1035(長元8)年6月20日には伊勢神宮の祭主が内裏で祈願している(『左経記』)。しかし、祈願から3日後に威子は流産。翌年に二人は相次いで病没した。
周明(ヂョウミン/松下洸平)の死を目の当たりにした藤式部は大宰府に留まり、失意の日々を送っていた。
一方、刀伊(とい)の襲撃を知らされた朝廷では陣定が開催された。事態を深刻に受け止める公卿はほとんどなく、一人、藤原実資(さねすけ/秋山竜次)のみが警固の強化や兵の募集などの対策を申し出た。
藤原道長の盟友である藤原公任(きんとう/町田啓太)や藤原行成(ゆきなり/渡辺大知)らは、大宰府で陣頭指揮を執る藤原隆家(たかいえ/竜星涼)が道長の政敵である故に、事態に冷淡な態度を取り続けていた。しかし、それは道長の求めるものではなかった。
刀伊の撃退に成功した隆家は、まもなく大宰権帥を解任され、都に戻ることとなった。従者である乙丸(おとまる/矢部太郎)たっての願いを聞き入れ、式部もともに京に帰ることを決意する。
太皇太后の藤原彰子(あきこ/しょうし/見上愛)に帰京を報告しに訪れた式部は、道長の正妻である源倫子に呼び出され、道長との関係を問いただされたのだった。
- 1
- 2