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【ルッキズム】西洋化した「美女」の条件… 日本人の「美」の基準はどう変わってきたのか? 平安から江戸、バブル・現代まで

今の話題を歴史で読み解く


容姿による差別(ルッキズム)が問題視されつつある昨今。現代の「美」は西洋的価値観に大きく左右されているが、「美」の基準は時代によってさまざまである。どのように変わってきたのか? また、現代では脱毛や整形もカジュアル化しつつあるが、いつから始まったものなのだろうか?


 

■現代の美意識は西洋的価値観が基準?

 

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 ロンドンの美容外科「センター・フォー・アドバンスド・フェイシャル・コスメティック&プラスチック・サージェリー」は古代ギリシアの黄金比に基づく調査をもとに、毎年10月、「科学的に最も美しい顔の女性」ベスト10を発表しており、2024年版ではアメリカ生まれ、アルゼンチンとイギリス育ちの女優アニャ・テイラー=ジョイが1位に選ばれた。

 

 ベスト10には中国のチャン・ツィィー(8位)と韓国のソン・ヘギョ(5位)も挙げられており、この両名は中国・韓国の基準に照らしてもやはり文句なしの美女だろうが、日本人の美意識に照らしても同様である。

 

 だが、これはあくまで西洋的価値観が広く浸透した現代の美意識によるもので、過去に遡れば、日本人の美の基準も自ずと違ってくる。奈良・平安の昔と町人文化が発達した江戸時代ではそれぞれどのようなルックスの女性が美女とされていたのか?

 

■時代によって変わる「美女」の条件

 

 日本三大美女のひとりに数えられる小野小町などが生きた平安時代の基準では、「しもぶくれの顔」「一重まぶた」「細い目」「小さく低い鼻」「小さな口」「丸い小さな顎先」が美女の条件とされていた。

 

 それから鎌倉・室町・戦国時代を経て、江戸時代初期にはいまだ平安時代の美意識が残っていたが、江戸時代後期の天明年間(17811789)にもなると、「顎の細いシャープな顔立ち」「きりりとした濃い眉」「切れ長で涼しげな目元」が美女の条件と化した。

 

 それから1世代後の文政年間(18181830)になると、人びとの美意識はさらに変化し、「細長い顔」「小さくつり上がった鋭い目」「受け口」という、現代人の感覚からすれば個性的なルックスが好まれた。ただし、それほど長続きせず、西洋文明の本格的な流入が始まって以降、日本人が抱く美女の基準は欧米のそれに強く引き寄せられていった。

 

 なんでも欧米に倣う風潮に「待った」がかかったのはバブルが最高潮に達した1980年代後半のこと。日本人デザイナーやモデルが世界で活躍するようになると、欧米の美の基準を認めながら、日本人には固有の美しさがあるとして、日本人の骨格や肌に合った美意識の追究が本格化した。

 

21世紀に庶民も美容整形や脱毛を行うようになった

 

 近代的な美容整形は1845年のドイツに始まったとされ、これは鼻の手術を行うものだった。21世紀初頭には庶民にも手の届く金額となり、ほぼ時期を同じくしてレーザー脱毛機を用いた永久脱毛の大ブームも始まった。

 

 ついで光脱毛機が発明されると、高額な医師によるレーザー脱毛と、財布に優しいエステティックサロンによる光脱毛との住み分けも生じ、消費者は自分の懐事情と相談しながら、脱毛方法を選べるようになった。

 

 なお、日本において、肌の色に関しては小麦色が好まれた時期もあるが、長い歴史から見ればそれはほんの一瞬で、ほぼ一貫して色白が理想とされてきた。

 

 これとは逆に、美の基準の中で最も大きく変化したのは瞼だろう。現代で流行しているのは「二重まぶた」を作る手術や化粧であり、目の周囲に関しては、美の基準が平安時代とは180度変化している。

 

 

 

 

 

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過去記事

島崎 晋しまざき すすむ

1963年東京生まれ。立教大学文学部史学科卒業。旅行代理店勤務、歴史雑誌の編集を経て、現在、歴史作家として幅広く活躍中。主な著書に『歴史を操った魔性の女たち』(廣済堂出版)、『眠れなくなるほど面白い 図解 孫子の兵法』(日本文芸社)、『仕事に効く! 繰り返す世界史』(総合法令出版)、『ざんねんな日本史』(小学館新書)、『覇権の歴史を見れば、世界がわかる』(ウェッジ)など多数。

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