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【暴言騒動】「批評でも明らかに悪意で書いていると感じた場合、先は読まない」不快な言葉はスルーした作家・志賀直哉、「煽られ耐性」が低かった太宰治

炎上とスキャンダルの歴史


パリ五輪(オリンピック)や芸能人の失言をめぐり、誹謗中傷があらためて問題視されている。今回は、文豪たちの暴言と、暴言を向けられた時の対処法について見ていこう。


■「刺す。」と殺人予告をした太宰治

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 太宰治が熱望していた第一回・芥川賞の受賞を逃がした際、とくに熱心に反対したらしい川端康成に向かって、『川端康成へ』というエッセイを書いて反論し、その中で「刺す。」つまり「殺すぞ」と宣言したことは有名です。

 

 じつはこのエッセイの中には、もっと興味深い箇所があります。文学以前の問題として、酒、女、薬に溺れているイメージの強い太宰の私生活を批判したとされる大先輩の川端に「あなたは、作家というものは『間抜け』の中で生きているものだということを、もっとはっきり意識してかからなければいけない」と説教しているのですね。

 

 こういう太宰の人生観にある種の「深さ」を感じてしまう筆者なのですが、やはり「間抜け」でもよいのは自分だけで、他人の「不適切発言」はどこまでも許せないのが太宰という男でした。

 

 戦後、太宰は没落貴族の女性・かず子をヒロインにした『斜陽』の大ヒットによって、戦前・戦中の「知る人ぞ知る実力派作家」という立ち位置から、「流行作家」にまで成り上がりました。

 

 しかし、プレッシャーとストレスから酒、女、薬により深く溺れるようになり、心身ともに急速に衰えていきます。そんな中、太宰が尊敬していた芥川龍之介から慕われていた――つまり、太宰にとっては嫉妬の対象の「小説の神様」こと志賀直哉が、とある座談会記事で「『斜陽』なんてものを読んだけれど、閉口したな」と言っているのを見てしまったのでした。

 

■「煽られ耐性」が低かった太宰治

 

 例によって激怒した太宰は、かつて川端に書いた以上の罵詈雑言に溢れた反論文を発表しています。志賀が書いた、第二次世界大戦中の「シンガポール陥落」についての時事文を読んで、「阿呆の文章である」と思ったなどとこきおろし(『如是我聞』)、太宰が自作『斜陽』で書いた上流階級の登場人物の言葉遣いが妙だったと志賀に批判されたことにもカミツキ返しているのです。

 

 志賀自身はかつて、「お殺せなさいますの?」などという珍妙なセリフを作中で書いていました。そこで太宰は、文章の末尾で「太宰などお殺せなさいますの?」――志賀先生がいくら私を攻撃したところで、お殺せになったりはいたしませんわ! などと煽りたてています。

 

 志賀にも「殺すぞ!」と言っているに等しいわけなのですが、川端に「刺す。」と宣言したときとまるで変わらない煽られ耐性の低さ、自ら炎上しにいく破滅癖……これこそが太宰治という作家の人間的短所でした。しかし、太宰の悪口は普段以上に歯切れがよく、読んでいてバツグンに面白いので、一種の文学的職人芸と思えるくらいなのですね。

 

■悪意ある批評は読まないようにしていた志賀直哉

 

 大炎上覚悟で反論した太宰でしたが、川端・志賀の両名ともにスルーされてしまいました。志賀によると、この手の悪意はよく押し付けられたものだそうですが、「批評でも明らかに悪意で書いていると感じた場合、先は読まない事にしている」――つまり、志賀はイヤだとおもった瞬間、読むのを止めていたのだそうです。実に賢明ですね。

 

 ……しかし、志賀自身の『兎』という短編の中の「お殺せなさいますの」というセリフを、太宰に揶揄られたことだけはちゃんと知っていたようなので、さすがの志賀直哉でも、自分に向けられた悪口を最後まで読んで嫌な気分になることもあったのでしょうし、いくら志賀が小馬鹿にしても、それだけの筆力を太宰は持っていたということでもあります。

 

 いずれにせよ、「作家というものは『間抜け』の中で生きている」という太宰の言葉が思い出されて仕方ありませんね。

 

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堀江宏樹ほりえひろき

作家・歴史エッセイスト。日本文藝家協会正会員。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。 日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。最新刊は『日本史 不適切にもほどがある話』(三笠書房)、近著に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)、『こじらせ文学史』(ABCアーク)、原案・監修のマンガに『ラ・マキユーズ ~ヴェルサイユの化粧師~』 (KADOKAWA)など。

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