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その美貌を処刑日に印象付けた江戸の悪女「お熊」の逸話とは⁉

江戸の美女列伝【第7回】


多くの人を巻き込んで、殺人未遂という重罪を犯しながらも、処刑のその日に美貌を人々に印象付けたお熊という女性がいた。


お熊は、お駒と名前を代えて歌舞伎に登場する。「梅雨小袖昔黄八丈」(通称髪結新三)という演目では、新三という怪しい髪結いに身代金目的にかどわかされてしまう悲劇のヒロインとなった。
「五衣色染分」 「黄」 東京都立中央図書館蔵

 黄八丈(きはちじょう)という織物を御存じだろうか。八丈島の名産品で、島の植物によって染めた糸を使い、黄を基調にした渋めな色使いの縞(しま)や格子柄の紬(つむぎ)である。色を染めるのに手間がかかるため高価だが、ある女性が身に着けていたことがきっかけとなり、流行したことがあるという。

 

 その女性の名はお熊。日本橋新材木町の材木商白子屋庄三郎の娘として生まれた。江戸は火事が多い町であったので、材木商は儲かる商売のひとつであった。ところが、何が原因なのかわからないが、庄三郎は資金繰りに詰まってしまう。これを解決するために考え出した秘策が、娘のお熊に金持ちの婿を添わせることだった。婿は、家に入る時に多額の持参金を持ってくる。その持参金目的に金持ちの息子を婿として、もしくは養子として迎えることが江戸時代には盛んにおこなわれていた。特に借金で首が回らない武士たちは、豪商や豪農の息子たちを金のために養子や婿として家に迎え入れていたのである。

 

 しかし、肝心のお熊がこの婿である又四郎を気に入らなかった。実は、お熊にはお気に入りの手代忠八がいたのである。江戸時代、商家では男子の誕生よりも女子の誕生を喜んだという。男子が必ずしも商才があるとは限らない。それどころかとんでもない放蕩者(ほうとうもの)で、代々築いてきた身代を傾けてしまう可能性もある。それよりも、使用人の中でこれはと目を付けた者と娘とを娶(めとら)せた方が、うまくいく可能性が高い。おそらく忠八は、目をかけられていた使用人で、お熊は、親の言う通りに彼と店を継ぐ心づもりだったのだろう。しかし、家が左前になってしまい、予定が狂ってしまったのだ。あきらめきれないお熊は、忠八とずるずると関係を続けていた。

 

 お熊は、又四郎と離縁を望んだが、それはかなわないことであった。離縁するには、又四郎の持参金を返さなければならない。当時は、結婚しても妻や夫が実家から持ってきた金や物は、あくまでも持ってきた本人のもので婚家が勝手に処分することができず、離縁する時には、すべて返さなければならなった。しかし、白木屋は持参金を商売のために使ってしまった後だった。

 

 本人が死んでしまえば、持参金を返さなくていい。好きな忠八と一緒になれる。と誰かがお熊に入知恵したのだろうか。使用人のきくに又四郎が寝ているところを刺殺させようとしたのである。きくは当時16歳だったというから、大それたことにひるんだのだろうか。軽い傷を負わせることしかできなかった。

 

 白子屋は、穏便に収めようとしたようだが、又四郎の実家は、夫婦仲がよくないという噂をつかみ、町奉行所に訴え出た。そして町奉行所の取り調べにより、きくが自白し、又四郎暗殺計画が明るみになった。

 

 この結果、実行犯のきくは死罪、監督不行き届きで庄三郎は江戸所払い、手代忠八は密通の罪で市中引廻(しちゅうひきまわ)しの上、獄門、お熊の母つねは従犯として遠島となった。お熊は主犯として密通と夫の殺害未遂に問われ、市中引廻の上、獄門となった。

 

 市中引廻の時、お熊は、黄八丈の小袖に、水晶の数珠を首からかけ堂々とした姿で裸馬に揺られながらも経を唱えていたという。もともとお熊は近所でも評判の小町娘で、その美貌を一目見ようと大勢の人が詰めかけた。人々の目にはお熊の美しさをさらに引き立てた黄八丈が焼き付けられたのだろうか。その後、彼女をまねて黄八丈を身に着ける女性が増えたという。

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加唐 亜紀

1966年、東京都出身。編集プロダクションなどを経てフリーの編集者兼ライター。日本銃砲史学会会員。著書に『ビジュアルワイド図解 古事記・日本書紀』西東社、『ビジュアルワイド図解 日本の合戦』西東社、『新幹線から見える日本の名城』ウェッジなどがある。

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