大阪の「ビリケンさん」はアメリカ出身だった! 名前の由来は「ビリー」と「-ken」
日本史あやしい話25
「ビリケンさん」の愛称で知られる通天閣の中の福の神だが、元々はアメリカ出身だという。いったい、どういう経緯で、大阪の下町へとたどり着いたのだろうか?
■どんな願いも、ほどよく叶えてくれる福の神

ビリケンさん
顔は、尖った頭に、吊り上がった目と、口を固く閉じたままの不思議な笑顔。身体は、赤子を思わせるようなぷっくりとしたお腹が特徴的である。前に投げ出した足の裏を撫でれば、願い事が叶うという福の神さま、それがビリケンさんである。
もちろん、神さまという以上、崇めたてまつらなければならないが、その愛おしく、かつ親しみやすい風貌から、つい、我が子を愛でるかのような心持ちになってしまうのである。
この像が鎮座するのは、大阪市浪速区の新世界にそびえる通天閣である。高さ108メートルの展望塔に設けられた展望台の中に鎮座する、高さ60㎝のビリケン像(3代目)がそれ。
台座に、BILLIKENの名と共に、「THE GOD OF THINGS AS THEY OUGHT TO BE」と記されているのも異質である。直訳すれば、「万事あるがままの姿を司る神さま」というところか。わかったようなわからぬような謎めいた一文であるが、要するに、どんな願い事でも、程良く聞いてくださるということか。さすが、大阪人らしい鷹揚さである。
■アメリカから大阪の通天閣へ
それにしても、なぜ英語で書かれているのか?それを知るには、ビリケンさんの歴史を振り返ってみる必要がありそうだ。
今から100年以上前の、明治41年(1908)にまで遡ってみよう。舞台は、アメリカ合衆国ミズリー州のカンザス市。つまり、その出身地が、アメリカだったからである。そこに住んでいた女性彫刻家が、展覧会に出展するために制作した作品が元になったものだったとか。
当時の大統領ウイリアム・ハワード・タフトの愛称であった「ビリー」に、小さいを意味する接尾語である「-ken」を加えて、「ビリケン」と呼ばれるようになったようである。その親しみやすい風貌が受けて、ビリケングッスが大ヒット。まずはアメリカの地において、人気を博したという訳だ。
では、どうして遠く離れた大阪の地にまでたどり着いたのか。それは、明治42(1909)年、大阪の繊維会社が商標登録を行って、販促用のキャラクターとして使用したことが皮切りだったという。これまた人気を博したことで、とうとう、新世界にお目見えしていた遊園地・ルナパークのホワイトタワーに設けられた「ビリケン堂」内にまで祀られるようになったのだ。
その後、ルナパークは閉鎖されたものの、大阪のシンボルとして人気を博していた通天閣が昭和31(1956)年に再建され、ビリケン像も新たに作り直されて、その展望台に鎮座するようになったのである。平成24(2012)年には3代目が登場して、現在に至るという次第である。
■ほんまに、願い事、聞いてくれるんかいな?
この足の裏を撫でれば何でも願い事を程良く聞いてくれるというビリケンさん。実は通天閣だけでなく、至る所で目にすることができるというから、その人気ぶりは半端ではない。
まず、通天閣の足元近くにある、ビリケン神社なる小さな祠の中にも鎮座。新世界の串カツ店の店頭にも、巨大なビリケン像が置かれている。その他、此花区の春日出商店街や池田市栄本町のポケットパーク内、さらには、大阪ばかりか神戸の松尾稲荷神社や鎮守稲荷神社、千葉県流山市や箱根登山電車箱根湯本駅などにもお目見えしているというから、その人気の広がりようが推し量れそう。
ここまで福の神としての人気が高まれば、当然のことながら、七福神にビリケンさんの名も加えたいところである。この七福神ならぬ八福神としたいとの願いは、大阪人としては切なる願いというべきか。
その奇妙な笑顔を見る度に、「頼んまっせ!」と大きな期待をかけながらも、「ほんまにわての願い事、聞いてくれるんかいな?」とツッコみたくなる存在、ビリケンさん。果たして、その霊験やいかに?