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日本のルーツは「秦の始皇帝を騙し、3000人を連れて日本に渡航した男」にあった!?

日本史あやしい話16


「長生不老の妙薬を探すため」と称して、秦の始皇帝に東方への出航を願い出た方士・徐福(じょふく)。その願いが叶って、大船団を組んで出航。たどり着いたとされる伝承地が、日本各地に点在している。にもかかわらず、識者の多くはこの説には否定的で、歯牙にも掛けない姿勢まで垣間見られるのだ。でも、それって本当にあり得ないお話だったのだろうか?


 

■「長生不老の妙薬」を探し求めて出航

丹後半島にある徐福上陸之碑(筆者撮影)

「東海の果てには、3つの神仙があります」

 

 と、こう声をかけたのは、斉の神仙方士として名高い徐市こと徐福であった。声をかけられた相手というのが、かの秦の始皇帝だったというから驚くばかりである。秦の始皇帝が2回目の巡行を行ったその道中、山東半島の南に位置する琅邪(ろうや)へとやってきた始皇帝に対し、徐福が自信満々、そう上申したのである。

 

 ちなみに「3つの神仙」とは、蓬莱(ほうらい)、方丈(ほうじょう)、瀛洲(えいしゅう)のことで、長生不老の妙薬があると信じられていた場所。その妙薬を「採りに行きます」というのだから、始皇帝が喜んだこと言うまでもない。

 

 中国を統一して絶大な権力を手中にしたとはいえ、どうしても手に入れることができなかった長生不老の妙薬。それを手に入れてくれるとなれば、どれほど費用がかかろうと厭わなかったはずである。ともあれ、始皇帝の支援を得た徐福。すぐさま琅邪近くの利根湾あるいは霊山湾、膠州湾など、いずれかの港から東海に向けて船出したようである。

 

■「大きなサメに邪魔をされた」と言い訳をして再渡航

 

 ところが、それから数年たっても、神仙どころか妙薬さえ見つけることができなかった。無垢の童男童女を数千人伴い、莫大な費用をかけた挙句のことである。始皇帝から叱責されることは間違いなかった。方士といえども、効験なき者は死罪と決まっていたからである。

 

 そこで一時帰国した徐福は、「大きな鮫(さめ)に邪魔されてたどり着くことができなかった」と偽りの報告をした上で、あらためて弩(いしゆみ)の名手を同道しての再渡航を願い出たのだ。おそらく、始皇帝5度目の巡行時のことだろう。

 

 今度は童男童女に加え、弩(いしゆみ)の名手たちも多数加わった。これに五穀工人(技術者)や船員たちも含めると、おそらく3000人規模に膨らんだはずである。仮に当時の船の乗船人員を50人と推測すれば、60隻前後もの大船団になるはず。なんとも大掛かりなものであった。

 

 その船団が同時に出航するのは危険である。万全を期すとすれば、数グループに別れ、時期をずらして順次出航した方が無難だろう。その中のある船は、朝鮮半島を経由して、日本海をたどったかもしれない。

 

 南に回り込んで、鹿児島経由で熊野や伊豆諸島に上陸した船もあったに違いない。各地に伝えられる徐福伝承地は、佐賀県伊万里(いまり)市、武雄(たけお)市、佐賀市、福岡県八女(やめ)市、鹿児島県串木野(くしきの)市、京都府伊根町、和歌山県新宮(しんぐう)市、三重県熊野市、愛知県熱田神宮、静岡県清水市、山梨県富士吉田市、東京都八丈島、青ヶ島など30数カ所もあるとされている。

 

■徐福の渡来は、ありえない話なのか?

 

 もし数グループに分かれて出航したとの説が正しければ、徐福本人が含まれていなかったとしても、徐福船団のいずれかの船が日本の各地にたどり着いたはず。それを徐福渡来伝説として後世に語り継がれたとすれば、各地に点在する伝承地の多くが、史実にもとづくものであったと見なすこともできるのだ。もちろん、あくまでも仮説に過ぎないお話であるが……。

 

 それでも、徐福が実在の人物であったということだけは、史実を厳格に書き留めた司馬遷の『史記』の正確無比ぶりを鑑みれば、信じるに足る話だろう。問題は、徐福が果たして日本に渡来したかどうかであるが、こればかりは定かではないとしか言いようがない。考古学的な証明ができない以上、断定できないのが何とももどかしいのだ。

 

 それを踏まえた上で、あえて問いたい! 徐福が日本に渡来してきたというのは、本当にあり得ないことだったのだろうか?と。もし、徐福船団が60隻前後もあって、段階的に東へと航海を開始すれば、それらがことごとく海の藻屑と消えたと考える方が異常ではないか?

 

 その中の何隻かあるいは何十隻かは、日本のどこかにたどり着いたと考える方が自然である。当時の航海技術の高さから考えれば、むしろ大半が無事に日本にたどり着いたとも思えるのだ。

 

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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