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逆恨みで村人たちを「皆殺し」…戦国武将・佐竹義宣にまつわる怪談とは?

日本史あやしい話14


死んだ妊婦が、お墓で産んだ赤子を幽霊となって育てるという「子育て幽霊」。死してなお子を思う母の慈愛に満ちたお話として、僧侶の説法として語られたものであった。そのお話が、なぜか戦国武将・佐竹氏と小田氏の抗争話へとつながっていったという。それは、どういうことなのだろうか?


 

■「母の慈愛」に満ちた怪談・「子育て幽霊」

高野山 奥の院 佐竹義重霊屋

 陽も暮れて店じまいした、とある飴屋での出来事である。コツ、コツ、コツと誰かが雨戸を叩く音。店主が今頃何事かと訝りながらも戸を開けると、赤子を抱いたうら若き女性が立っているのが見えた。顔色は青く、髪の毛もボサボサ。

 

 一文銭を差し出しながら、か細い声で「飴を下さい」という。不審に思いながらも飴を手渡すや、それを手に静かに立ち去っていったとか。こんな情景から始まるのが、「子育て幽霊」物語である。各地に同様のお話が数多く伝わっているのも特徴的だ。ともあれ、続きを見てみよう。

 

 その翌晩もさらに翌々晩も、同じように一文銭を差し出して飴を買って帰っていく女。ところが、7日目の晩のことである。いつものように現れたものの、この時はお金を持ち合わせていなかった。「これで飴を売って下さい」と差し出したのが、女物の着物であった…と。

 

 この辺りまで読みすすめたところで、大方の方は、なるほどと察しがついたに違いない。言わずもがなその女とは、幽霊であった。亡くなった後にお墓の中で出産。生まれたばかりの赤子を、幽霊となった女が乳代わりに飴を買って子に与えていたというのだ。

 

「そんなバカな話があるものか」と考えるのは早計である。少なくとも、墓に埋められた妊婦が、死んだ後に赤子を産むことは、科学的にもあり得ることが証明されているからだ。それが「死後分娩」あるいは「棺内分娩」と呼ばれる現象で、遺体が腐敗して体内に溜まったガスの圧力によって、胎児が体外に押し出されるのだとか。

 

 もちろん、その赤子を幽霊が抱いて飴を買いにいった云々は、あり得る話ではない。「死後分娩」によって産まれた赤子を見た後世の人々が、赤子を憐れむとともに、そこに子を思う母の慈愛を慮って、このような形で言い伝えようとしたのだろう。

 

 ともあれ、話を続けよう。奇妙に思いながらも、手に入れた着物を店先に出して陰干ししておいたところ、通りがかりの大尽が見てビックリ!その羽織が、亡くなったばかりの娘が生前に身にまとっていたもので、お棺に入れたはずのものだったからだ。早速お墓を掘り起こして、またもやビックリ。

 

 娘の遺骸が、産まれて間もない赤子を胸に抱いていたというのだ。手に持たせていた三途の川を渡るための六文銭も無くなっていたというから、幽霊となった娘が、飴を買うために一文づつ使ったということか。

 

 この一連のお話は、日本各地に数多く伝えられている。飴が餅や団子に変わったり、女の居場所を探るのに赤い糸を使ったりするなど多少ニュアンスが異なることはあるが、変わらないのが、赤子のその後の動向である。多くの場合、僧侶になったとしているのが、何やら曰くありげで気になってしまうのだ。

 

 鳥取県岩美町では曹洞宗の高僧となり、島根県益田市では浄土真宗の僧侶に、静岡県湖西市では法華宗の僧侶になったと、宗派もバラバラ。各地の僧侶たちが、ありがたい「母の慈愛」あるいは「親の恩」について語るにあたって、題材として「子育て幽霊」話を持ち出したのだろう。それがいつの間にか、その地ならではのお話として変容していったと考えられるのだ。

 

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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