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タヌキが茶釜に化ける昔話「ぶんぶく茶釜」。なぜか「源平合戦」が登場する理由とは?

日本史あやしい話15


タヌキが茶釜に化けて芸を披露するという「ぶんぶく茶釜」。じつは、群馬県館林市のとあるお寺に伝わる「湯が尽きることのない茶釜」の伝説が元になったようである。その元のお話に、なぜか、源平合戦のひとつ「屋島の戦い」が登場するのをご存知だろうか?


 

タヌキが扮する茶釜の綱渡りで大繁盛?

茂林寺の狸の像

 ぶんぶく茶釜といえば、タヌキが茶釜に化けて、綱渡りなどの芸を披露するというお話である。明治から大正時代に活躍した作家・巌谷小波(いわや・さざなみ)が、お伽噺「ぶんぶく茶釜」として紹介したことが世に広まるきっかけとなったといわれている。

 

 そのお話の舞台は、群馬県にある茂林寺(もりんじ)。そこの和尚さんが古道具屋から買った茶釜に、頭や足、尻尾が出てきたことから、騒動が起きるのである。和尚さんがこれを出入りの屑屋に売り飛ばすや、今度は屑屋(くずや/当時の廃品回収業者)が見世物小屋を開いてひと儲け。

 

 タヌキ扮する茶釜に、綱渡りなどの技を披露させたというから、見世物小屋が大繁盛。なにせタヌキが茶釜に化けて演じるのだから、面白くないわけがない。結局、屑屋が大儲けをして話はおしまい。

 

■福を分け与えるぶんぶく茶釜

 

 さて、このおとぎ話、元ネタとなる伝承があった。舞台となる茂林寺なるお寺も、じつは群馬県の館林市に実在する。そこに、タヌキゆかりの伝説「茂林寺の釜」なる伝承が伝わっているのだ。ただし、その伝承を参考にしたとはいえ、元の話とストーリーがかなり異なっているのが気になるところである。ともあれ、茂林寺の寺伝を紐解いてみることにしよう。

 

 時は応永年間(1394〜1428)、室町幕府の足利義満(あしかがよしみつ)や義持(よしもち)のころのお話である。このお寺が開山されるにあたって、守鶴(しゅかく)という名の僧が、住職に従ってこの地にやってきたとか。

 

 不思議なことが起きたのが、元亀元年(1570)。千人法会を催すにあたり、大勢の来客をもてなすために、湯釜が必要になった。そこに登場するのが守鶴で、どこからともなく一つの茶釜を持ってきて、茶堂に備えたという。

 

 と、不思議なことに、いくら湯を汲んでも湯が尽きることがなかった。驚く人々を前に、守鶴がこれを、福を分け与える「紫金銅分福茶釜」と命名した上で、開運出世などに功徳あり、と皆に披露したというのである。

 

■別れ際のお話に「屋島の合戦」をチョイス

 

 ところが、それから何年か過ぎた頃のある日のこと。守鶴はうっかり、尻尾を出したところを見られてしまう。つい気を許してしまったのか、寝ている間にタヌキとしての本性を現してしまったのである。タヌキであると知られては、もはやここには居られじとばかりに、立ち去ってしまうのであった。

 

 問題は、その別れ際のこと。名残を惜しむかのように、皆に釈迦の説法を披露したというのだから驚く。なんとこのタヌキ、釈迦存命中も生きていたというのだから、実に2000と数百歳以上もの年齢に達していたことになる。

 

 釈迦の説法に次いで語ったのが、なぜか「屋島の合戦」であった。その理由は定かではないが、守鶴が立ち去ったとされる天正15年(1587)のこの当時においては、一番盛り上がりを見せたお話というのが、源平合戦にまつわるお話だったのだろう。

 

 源義経(みなもとのよしつね)が寡兵をもって、渡辺津から暴風雨をものともせず出航。阿波勝浦に上陸して、息つく暇もなく、陸路平家一門が拠点とする屋島へ急行し、一気に攻め立てた。海上からの攻撃を想定していた平家軍は、慌てふためいて、壇ノ浦へと逃げていった……この実に痛快なお話が、当時としては最ももてはやされたお話だったのだと思われる。

 

 ともあれ、その舞台となった茂林寺は、今も「ぶんぶく茶釜」のお寺として名が知られている。参道に21体ものタヌキ像が立ち並ぶのを始め、守鶴ゆかりの守鶴堂や守鶴像ばかりか、茶釜も所蔵しているとか。拝観が可能なので、是非ともお目にかかっておきたいものである。

 

 

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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