×
日本史
世界史
連載
ニュース
エンタメ
誌面連動企画
歴史人Kids
動画

“家康、千代田城入城”スペシャル! 東京・千代田で辿る徳川家康の足跡

Mummy-D&KOHEI JAPANの遠い目症候群#02

<Mummy-D&KOHEI JAPANの今日も遠い目で一献!>


歴史を肴に、美味しいお酒とお料理を堪能しながらゆるゆる語らうコーナー。

今回は日本最古の居酒屋ともいわれる「みますや」さんにお邪魔しました!

創業はなんと明治38年(1905)。関東大震災や太平洋戦争を乗り越えて、美味しいお酒と心のこもった料理を提供し続けています。

執筆/織江賢治


■今日も乾杯! そして千代田区歴史散策を振り返る

徳川家康の足跡と、江戸の人々が愛した味を辿った今回。さあ、今日も歴史に乾杯!

Mummy-D(以下D):それでは本日2回目の乾杯といきますか~!

 

KOHEI JAPAN(以下コ):おつかれさ~ん!

 

D:ごくっごくっ……プハァッ。
というわけで、今日1日の散策を振り返るわけだけれども!
なんで遅刻してんの? 30分くらい(笑)

 

コ:いやホントごめん……すみません。五反田から向かってたんだけど、どうやって早く着くか調べたら有楽町からダッシュが一番早いと。みんなの前に着く前に、ちょっとでもハアハア言わせて反省の色を出したかった。

 

D:アハハハハハ……ってふざけんなよ(笑)
まあこの辺は駅が多いし、色んな行き方があるからね。

 

コ:ほんとに駅多い。皇居のまわりって地図で見ると点々と駅があるし。
でも駅と駅の間も近いしさ、この辺を観光する場合はそういうのが分かってくると東京散策も面白いかもね。

 

D:遅刻したって話なのに、なんで上からなのよ(笑)
まあいいや。で、どうだった? 桜田門から始まって、皇居・江戸城を横目で見ながら歩いてみて。

 

コ:やっぱりとてつもなく広いなって。最初の桜田門、正式には「外桜田門」って言うんだね。そこから次の「内桜田門」までの距離がすごかったし、なんなら桜田門という門自体が内と外の2つあることは知らなかった。

 

D:内桜田門……別名「桔梗門」ね。
皇居の西側、国立劇場そばが半蔵門で、今回のスタートした南側の日比谷公園近くが外桜田門、皇居の東側・東京駅からまっすぐ進んだところが桔梗門(内桜田門)。そのちょい北・大手町駅のところが大手門で、皇居の北東・竹橋駅すぐが平川門、今回エスコートしてくれた千代田区観光協会や千代田区役所があるところが清水門。で、皇居の北側、オレたちも来年2月にツアーファイナルやるけど、武道館の最寄りが九段下駅の田安門って感じかな。

 

コ:あ、なにげに宣伝入れてきた(笑)

 

D:うるさい!(笑)

 

コ:そういえば門で思い出したけど、桔梗門の警備には6~7万石以上の譜代大名が、大手門は10万石以上の譜代大名が警備にあたってたってあったけど、その規模感ってどれくらい?

 

D:相当なモンよ。譜代ってことは関ケ原前からでしょ? 石高トップ3の加賀藩(120万)、薩摩藩(72万石)、仙台藩(62万石)は外様だから除外するじゃん。で、譜代のトップ3が御三家の尾張(61万石)、紀伊(55万石)、水戸(35万石)で……確か10万石以上の譜代は御三家入れて17藩だから、相当限られるね。

 

■徳川家康と神田明神、関東民のちょっと不思議な関係

 

コ:その関ケ原の前に徳川家康が戦勝祈願をしたのが神田明神なんだよね。

 

D:そそ。最初はこの次に行った将門塚にあって、江戸城の拡張に伴って今の場所に移転したとか。ですよね? 天の声~!

 

天の声(千代田区観光協会・Wさん):そうです。神田明神はもともとは天平2(730)年に将門塚のあった場所(武蔵国豊島郡芝崎村)に創建と考えられていて、1603年の江戸幕府開府の年に駿河台に移転して、さらに元和2(1616)年に、表鬼門の守護として今の湯島台に遷座し「江戸総鎮守」となりました。

 

コ:おお将門塚! 将門塚と神田明神の関係性も面白かったよね。

 

D:だな! 将門は神田明神の御祭神でもあるけど、案内板?にさ、「将門公」って書いてあったもん。「弱きを助け強きをくじく義理人情にあつい」とか(笑)

 

コ:将門リスペクトが過ぎる(笑)

 

D:いや平将門ってホント面白いなと思うんだよね。平将門って朝廷からするとメチャクチャ謀反人なわけじゃん。なのにそういう伝え方をするっていうのは、当時の日本の中心だった京都に一矢報いてやろうっていう東国的な気概、関東は坂東武者を中心とした世界を作っていくんだっていうイズムがさ、今でも脈々と続いてるんだって感じたよ。

 

コ:まあ祟りがあったからっていうのもあったんだろうけど(笑)、わざわざリスペクトして塚を造ったくらいだもんね。

 

D:家康もそのあたりのイズムを引き継いでるのかなって感じがしたよね。家康はそもそも頼朝を尊敬してたけど、その頼朝に始まった東国武家イズムが戦国を経て江戸に引き継がれた。

 

コ:神田明神はそういった独自性が面白いよね。本殿の裏に小さい神社がいくつもあってさ、来るもの拒まずに分祀されたって感じだし、アニメの聖地にもなっちゃってるし、交流館ではアイドルのライブもやってるし、すごい寛容だなって。

 

D:男坂が正面じゃなく脇にあるのも面白い。本殿に向かって登る急峻な坂がだいたい男坂なんで、それをゆっくり回避しながら脇から登る道が女坂なんだよね。その男坂の雰囲気がすごい良くて、まさに遠い目ポイント。昔はもっと参道っぽい感じでお土産屋さんとかあったんじゃないかなって考えたりするのよ。

 

コ:おれは初めて来たけど、境内に入ると周りのビルが見えなくなって、空の抜け感が現れるの。東京の中心でこれはすごいなって思ったね……。からの、豊島屋酒店さんでいただいた日本酒が美味かった! 神田明神にも供献してるんだよね。

 

D:ねーーー! あれは本当にいいお酒! もっとちびちびやっていたかったなあ。コーヘイなんか目の色変わってたもん。

 

コ:いただいた3種のお酒はもちろんだけど、つまみの味噌田楽がまた……豆腐自体が美味しい。

 

D:創業が1596年だっけ? 秀吉まだ生きてるじゃん! 関ケ原の前じゃん!って(笑)
豊島屋の様子を描いたあの絵巻。あの絵、入口んとこ大渋滞しててさ、熱狂に近かったよね。ライブ感がすごい絵だったけど、まぁ飲んだら納得だわ。

 

コ:ってことで、今回の江戸城周辺探索コースは★3.5ですかね。アニキは?

 

D:う~ん……★3かな。

 

コ:あれ? 前回(中央区・旧佃島編)と一緒?

 

D:いやいや千代田区は今日だけで堪能しきれるもんじゃない! 地方自治体が町おこしのためにどれだけ頑張っているか、どれだけ細い歴史的遺産を膨らませているのかを僕は知ってるんです! だからこれだけ史跡のある千代田区なら、まだまだ見るところがあるハズだと! そのポテンシャルを感じての★3です! 次回があれば、千代田区をもっと掘るし「お前らここ絶対来いよ」ってぜひアピールしたいね!

 

KEYWORDS:

過去記事

Mummy-D&KOHEI JAPAN(まみーでぃーあんどこーへいじゃぱん)
Mummy-D&KOHEI JAPANまみーでぃーあんどこーへいじゃぱん

Mummy-D(兄)
1970年横浜市生まれ。ラッパー、プロデューサー。1989年に宇多丸と出会いRHYMESTERを結成。日本のヒップホップ・シーンを、黎明期から開拓、牽引してきた立役者。近年は益々旺盛な音楽活動に加えて、役者業や、歴史好きが高じて、歴史にまつわるトークショウに登壇したり、桑名市の歴史観光PRアドバイザーを務めるなど、活躍が多岐にわたる。近作に6月リリース、ライムスター・アルバム『Open The Window』(Billboard週間8位/Billboard配信1位/オリコン週間12位)。キャリア34年目にしてソロデビュー! Mummy-Dシングル「同じ月を見ていた feat. ILL-BOSSTINO」配信中。2024年2月16日にはツアーファイナルとして日本武道館公演を大成功させた。
HP: https://www.rhymester.jp
Instagram: @mistadrunk

 

KOHEI JAPAN(弟)
1971年横浜市生まれ、ラッパー、プロデューサー。1994年、ラッパーのKINらとメローイエローを結成。マチズモとは一線を画す、等身大でユニークな世界観が、その後の日本のシーンに多大な影響をもたらしている。またソロアーティストとしても活躍。「生活レベルの喜怒哀楽」を巧みにヒップホップに昇華して、報道番組、新聞各紙などでも特集されてきた。兄とともに歴史好きとしての一面も持ち合わせ、明治維新150年という節目に、佐賀藩の歴史をラップで紹介、肥前名護屋城跡PRムービーの楽曲制作を行うなどの活動も。近作に8月リリース、KOHEI JAPANシングル「Dance In The Dark」が配信中!
Instagram: @koheijapan_

最新号案内

『歴史人』2025年10月号

新・古代史!卑弥呼と邪馬台国スペシャル

邪馬台国の場所は畿内か北部九州か? 論争が続く邪馬台国や卑弥呼の謎は、日本史最大のミステリーとされている。今号では、古代史専門の歴史学者たちに支持する説を伺い、最新の知見を伝えていく。