豊臣秀吉の「残酷すぎる所業」 妻子まで処刑された秀次は、本当に「悪人」だったのか?
日本史あやしい話23
■『雨月物語』に登場する豊臣秀次の亡霊
さて、ここで『雨月物語』という書を紹介したい。これは、江戸時代後期の読本作者・上田秋成が著した怪異小説である。崇徳上皇の亡霊が西行と論争をする「白峰」や、男が蛇の化身に付きまとわれる「蛇性の婬(じゃせいのいん)」など、9編の物語で構成されたあやしげな物語だ。
この書の中で注目したいのが、「仏法僧」というお話。これは、旅の親子が高野山で豊臣秀次の怨霊と出会うという内容である。秀次がどのように描かれているか、物語を振り返ってみることにしよう。
主人公は、伊勢の相可という里に住む、夢然という名のご隠居さんである。彼が、末っ子・作之治を連れ、京の都へと旅立つところから物語が始まる。二条の別荘でひと月余りを過ごした後、吉野で花見。「ついでに高野山にも参っておこう」と旅立ったのが事の起こりであった。
お山へとたどり着いたものの、夜更けとあって泊まるところもなく、止むを得ず灯籠堂で一夜を過ごすことに。ここで、とんでもないものを目にしてしまったのだ。
し〜んと静まり返った深夜。御堂の周りは、霊気を帯びたかのような静寂の森である。御廟の裏手から時折聞こえる「ブッパン、ブッパン」という仏法僧の啼き声も不気味であった(この鳴き声、実はコノハズクとか)。
その静寂を打ち壊すかのように、忽然と侍たちの荒々しい声が聞こえてきた。と、思うや否や、荒々しく橋板を踏み鳴らす音が……。親子ともども、慌ててお堂の脇に身を隠そうとしたものの、時すでに遅し。早々に見咎められてしまった。
「殿下のお渡りぞ」と叱咤されて、平伏するしかなかった。それでも、恐る恐る見上げるや、親子の目に映ったのは、烏帽子直衣姿の貴人であった。
貴人に続いて武士たちも次々と灯籠堂に上がっていく。そのうちに、酒肴が出て、詩文を賦しての宴が始まったのである。見とがめられた親子も、酔狂な貴人の勧めに従って宴席に参加。歌を披露するなど、ひと時ながらも、談笑の輪に加わった。
それにしても気になるのが、「殿下」と呼ばれた御仁の素性である。思い余って貴人の名を問うや、先の関白・豊臣秀次だというからビックリ! いうまでもなく天下人・秀吉の甥で、ひと時とはいえ、その後継者と目された御仁であった。
脇に侍るのは、木村常陸介、雀部淡路守、熊谷大膳亮、粟野杢助、日比野下野守、山口少雲、丸毛不心、隆西入道、山本主膳、山田三十郎、不破万作、紹巴法橋なる面々。いずれも、秀次の切腹前後に殉死した臣下たちで、すでに鬼籍(冥界)に入った人々ばかり。つまり、今は亡き男どもが亡霊となって集うところに出くわしてしまったというのだ。
■石田三成が秀次を讒言?
宴もたけなわとなった頃、突如、雀部淡路守が、「はや修羅の苦行の刻にて候」と決死の形相で叫ぶことに。と、慌ただしく立ち去ろうとする一行。その中の誰かが、「公を讒言した石田三成、増田長盛め」と勇みたって怒鳴り散らす始末。どさくさに紛れて、この両名が謀をなして秀次を死に追いやったことを、「こんちくしょう!」と言わんばかりに、声を張り上げて非難したのだ。
秀次は御堂を立ち去るにあたって、無情にも親子の殺害を命じたというから、死してなお無慈悲であったような描かれぶりである(この秀次暴君説は、現在では否定する向きが多いようである)。「いつものような悪行をなさってはいけませぬ」とたしなめる声が聞こえたところで、忽然と男どもの姿が大空の彼方へと消えていった……という。
その怪異な様相を目の当たりにした親子も、いつしか失神。目がさめると、あたかも何事もなかったかのような静けさが広がるばかりであった。都への帰り道、三条の橋を渡ろうとしたところで、ふと、「悪逆塚」(秀次の墓)のことを思い出した……というところで物語の幕をおろすのである。
秀次が自害に追い込まれて命を絶ったのは、物語の舞台ともなっている高野山。本来なら権力に追われた亡命者を守るはずの高野山も、かの秀吉の命には逆らえず、秀次の命を救うことができなかった。その地に悪鬼となって隠れ住んだというから、秀次らの無念が推し量られそうだ。
画像…「月百姿」「おもひきや雲ゐの秋のそらならて竹あむ窓の月を見んとは 秀次」 (東京都立図書館)
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