×
日本史
世界史
連載
ニュース
エンタメ
誌面連動企画
歴史人Kids
動画

東西冷戦末期に登場し戦うウクライナの武器である【MBT:T-72シリーズ】

戦うウクライナ軍の兵器~大国ロシアとの死闘で活躍するウクライナ軍の兵器を紹介~【第4回】


2022224日、プーチン大統領に率いられた大国ロシアは、隣国ウクライナへの武力侵攻を開始。これを受けて、ウクライナはゼレンスキー大統領の下に西側諸国の支援も受けつつ、祖国の防衛に奮戦。その戦いを支える、ウクライナ軍の各種兵器の横顔を逐次紹介して行く。第4回はT-72シリーズである。


ウクライナが独自にグレードアップ改修を施したT-72AMT。ウクライナ戦争の緒戦で活躍している。

 

 かつてヨーロッパ正面でNATOと対峙していたワルシャワ条約機構軍の盟主である旧ソ連は、戦車大国として知られていた。その旧ソ連が、マスプロ戦車として同盟国にも送り出したT-62の後継となる第2.5世代MBT(主力戦車)の位置付けで、先進技術を盛り込んで開発したのがT-72である。

 

 1960年代中頃、旧ソ連はT-64を制式採用した。備砲への自動装填装置と耐弾複合装甲を備えた本車は、当時としては最先端の画期的なMBTであった。ところが、自動装填装置をはじめとした最新技術がまだ不調で、戦車そのものが高額でもあったので、本車をベースにして、既存の技術を組み合わせて廉価版(普及版)として改めて開発されたのがT-72だった。

 

 T-721972年に制式採用され、1973年から量産が開始された。本車の出現に、NATO諸国は警戒心を強めて各種の新型MBT開発に拍車がかかった。

 

 1980年に勃発したイラン・イラク戦争で、イラク軍に装備されたT-72は、イラン軍のチーフテンを多数撃破。その強さを見せつけたが、1982年のイスラエルによるレバノン侵攻では、シリア軍のT-72がイスラエル軍のメルカバMk.1に大敗している。

 

 以降、湾岸戦争やイラク戦争で西側MBTと対決したが、戦績はきわめて不良であった。特に自動装填装置の採用で装填手が不要となり、乗員が3名と少なくなったのは利点だったが、その自動装填装置のために弾薬庫を車体中央の戦闘室底部に置いたことが、時に致命的な事態を招く原因となった。

 

 T-72は開発当時、弾薬庫を車体底部に置くことで車高を低くできるうえ、よしんば敵弾が平面で命中しても、車体底部の弾薬庫は被弾誘爆しにくいと考えられて設計された。ところが、敵弾が平面ではなく上部や下面から命中するとこの弾薬庫が誘爆を起こし、乗員全員を戦死させたうえ砲塔を吹き飛ばす事態を招くことになった。

 

 湾岸戦争時にこれを見たアメリカ戦車兵たちは、砲塔が車体から外れて宙に吹き飛ぶ様を、箱からバネで道化師などのフィギュアが飛び出すびっくり箱になぞらえて、T-72に「Jack in the Box(びっくり箱)」というあだ名を付けたほどだった。

 

 1973年の登場以来、T-72は火器管制装置の改良や装甲の強化などの改良を重ねられ、ウクライナ軍では独自改造のT-72AMTなども運用。一方、ロシア軍はT-72B3を主用してウクライナ戦争の緒戦を戦った。しかしロシア軍のT-72B3の多くは、ウクライナ軍が使用したアメリカ製FGM-148ジャベリン対戦車ミサイルの上方攻撃を受けて、多数が「びっくり箱の最後」を迎えている。

KEYWORDS:

過去記事

白石 光しらいし ひかる

1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。

最新号案内

『歴史人』2025年11月号

名字と家紋の日本史

本日発売の11月号では、名字と家紋の日本史を特集。私たちの日常生活や冠婚葬祭に欠かせない名字と家紋には、どんな由来があるのか? 古墳時代にまで遡り、今日までの歴史をひもとく。戦国武将の家紋シール付録も楽しめる、必読の一冊だ。