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戦うウクライナ軍の歩兵戦闘車の先駆けとなった【BMPシリーズ】

戦うウクライナ軍の兵器~大国ロシアとの死闘で活躍するウクライナ軍の兵器を紹介~【第3回】


2022224日、プーチン大統領に率いられた大国ロシアは、隣国ウクライナへの武力侵攻を開始。これを受けて、ウクライナはゼレンスキー大統領の下に西側諸国の支援も受けつつ、祖国の防衛に奮戦。その戦いを支える、ウクライナ軍の各種兵器の横顔を逐次紹介して行く。第3回はBMPシリーズである。


湾岸戦争においてアメリカ軍が鹵獲したイラク軍のBMP-1。

 戦車には歩兵が不可欠だ。いくら強力な戦車でも、戦車の視界は限られているので敵の歩兵の肉薄攻撃を先に発見できるとは限らないし、敵地を占領してしらみつぶしに建物を掃討(そうとう)することもできない。そこで、かつては戦車の車上に「見張り」や「露払い」を兼ねた歩兵を乗せて運ぶことが行われたが、やがて戦車に追従できる装甲兵員輸送車が開発された。

 

 戦車とともに行動できるように装軌式で、乗っている歩兵を装甲によって守るというのがコンセプトで、そのため「戦場のタクシー」という通称で呼ばれたりもした。しかし装甲兵員輸送車は機関銃程度しか搭載していないため火力が貧弱で、もしも敵戦車に遭遇したら一方的にやられてしまう。

 

 そこで「陸軍大国」の旧ソ連は、装甲兵員輸送車に敵戦車とも戦える強力な武装を施したBMP-1歩兵戦闘車を開発。1人用の小型砲塔に通常の榴弾(りゅうだん)と対戦車榴弾が発射可能な73mm低圧滑腔砲と同軸機銃、さらに対戦車誘導ミサイルまで装備し、乗員3名に加えて歩兵8名を乗せられる本車は、いわば「戦場のタクシー」が自らも戦車と戦える武装を備えた存在として、1966年に制式化された。

 

 BMP-1の出現当初、歩兵戦闘車形式の車両をほとんど保有していないアメリカを筆頭としたNATO各国は、重武装の本車に大きな脅威を感じた。というのも、当時主用していたアメリカ製の装甲兵員輸送車M11350口径機関銃ぐらいしか装備しておらず、「戦場のタクシー」の域を出ない車両だったからだ。

 

 ところがBMP-1が実戦に投入されると、73mm低圧滑腔砲の威力と射程の不足、対戦車ミサイルの再装填の不便さなどが露呈。しかも西側諸国で広く採用されている50口径機関銃の銃撃で、車体側面なら貫徹できるほど防御力が脆弱なことが判明する。

 

 このような事実はもちろん旧ソ連側も承知しており、その後、73mm低圧滑腔砲に代えて30mm機関砲と新型の対戦車誘導ミサイルを備えたBMP-2が登場した。

 

 ウクライナ軍は旧ソ連時代からBMPシリーズを運用しており、2022224日の開戦時にも200両以上を保有していたという。しかし戦闘による消耗があり、しかも脆弱な防御力のせいで、損害を蒙ると乗っている人間もかなり失われるという弱点が問題視された。このようなことが理由で、ウクライナはアメリカにM2ブラッドレー歩兵戦闘車を求めたといえる。

 

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白石 光しらいし ひかる

1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。

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