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信長を裏切ったら「妻子を惨殺」された!でも茶道具だけは守った豪胆すぎる武将・荒木村重

日本史あやしい話19


主君・織田信長相手に、1年にもわたって籠城戦を繰り広げた荒木村重(あらき・むらしげ)。頑なに意地を押し通して抵抗し続けたものの、食糧もついに底をついた。もはやこれまでと思われたそのとき、わずかな供の者を引き連れ、茶道具を携帯して密かに城を抜け出したのである。残された妻子や一族らが捕らえられ、ことごとく惨殺されてしまったことは言うまでもない。逃げ延びた村重は、のちに茶人として大成したと言うが、自らの所業によって悲劇を招いたことを、いったい、どう思っていたのだろうか?


 

■信長が刀に「まんじゅう」を刺して差し出すと…

「荒木摂津守村重」(東京都立図書館)

  信長の家臣に、荒木村重という名の武将がいたことを覚えておられるだろうか? 平将門征伐でも知られた藤原秀郷の末裔で、最初の主君・池田長正を裏切った挙句、池田家の乗っ取りに成功。その後、池田家が仕えていた信長へと主人を鞍替えした御仁であった。

 

 信長との初面談の時のこと、信長が刀でまんじゅうを突き刺して村重の口元に差し出すや、これを物ともせずに咥えたという。その豪胆さが気に入られて信長の配下となるや、越前一向一揆の討伐や石山合戦などで戦功を重ね、ついには摂津国37万石を任されるまでにのし上がった……そんな逸話の持ち主である。剛毅(ごうき)さはいうまでもなく、目端が効くとともに、戦術にも長けた人物だったようだ。

 

 ところがこの村重、どう思ったのか、信長から絶大な信を得ていたにもかかわらず、突如、主君を裏切って、反旗を翻したというから、なんとも不思議である。一説によれば、家臣(中川清秀/なかがわきよひで/か)が石山本願寺に兵糧を横流しにしていたことを咎められることを恐れてのことであったと見られることもあるが、果たして?

 

 むしろ、目端の利く人物だったがゆえに、「信長に付き従うことに何らかの危機感を抱いていた」と見なす方が自然と思えそうだ。ともあれ、まずはその経緯を振り返ってみることにしよう。

 

■信長が苦戦しているところで裏切り!

 

 時は天正6(1578)年、舞台は摂津の有岡城(伊丹城)である。村重が、羽柴秀吉に付き従って、別所氏と戦っていた折のことである。村重が秀吉軍に加わっていたにも関わらず、突如、戦線を離脱。そのまま有岡城に籠城してしまったのだ。

 

 石山本願寺攻めに苦戦していた当時の信長としては、頼みの綱である村重に去られ、困ってしまった。明智光秀や黒田官兵衛などを使いに走らせて、翻意を促した。

 

 すると村重は黒田官兵衛を捕らえ、1年もの長きにわたって牢に入れた。劣悪な環境のせいで、足が不自由になったとも(ただし、これには異説もあって、官兵衛の元の主君・小寺政職から密かに官兵衛暗殺を持ちかけられた村重が、官兵衛の命を守るためにわざと投獄したのだと言われることもある)。

 

■妻子は捨てたが茶道具は守り切った

 

 ともあれ、再三にわたって信長から翻意を促された村重、その熱意にほだされてか、一時は籠城を取りやめて、信長のいる安土城へ向かった。

 

 しかし、その道中、家臣・中川清秀から「信長は裏切った者を決して許すことはありません」と言われて、またまた翻意。石山本願寺や毛利氏と手を組んで、その後1年にもわたって有岡城に籠城し、信長軍と対峙し続けたのである。

 

 そして、食糧もとうとう底をつき、もはや落城もやむなしと思われたその時、村重はわずかな供の者を引き連れて密かに城を抜け出し、嫡男・村次が守りを固める尼崎城へと逃げ込んでしまった。

 

 その際、大事にしていた茶道具・葉茶釜を携帯していたことも、後世、非難の的となったようである。このことから、「妻子を捨ててまで茶道具を大事にした男」の烙印まで押されてしまったのだ。

 

 ただし、この村重の逃避行については、毛利氏の援軍を要請するための行動で、茶道具は毛利氏に献上するためのものだったとみなされることもある。

 

次のページ■自らの意思を押し通したことで、妻子一族が惨殺の憂き目に

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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