三人の皇帝が現れた「異様」な時代
ここからはじめる! 三国志入門 第1回
現代に至るまで、幅広い世代から愛される『三国志』。その舞台となる紀元200年代の中国は、皇帝が3人存在するという極めて特殊な状況下にあった。その時代背景と三国志の魅力を考察する。
三人の皇帝が現れた「異様」な時代
三国志の面白さを語るまえに「三国志とは何か?」と聞かれたとき、ひとことで説明するのは実はかなり難しい。
あえて本当に、ひとことで言い表すとすれば、今から1800年ぐらい前の紀元200年代、中国大陸が三つの国に分かれて争っていたというものだ。
それが魏(ぎ)・蜀(しょく)・呉(ご)という三国のことで、それらの国々について、まとめた歴史書のことが『三国志』である。
その三国を創業したトップの人間が、魏の曹操(そうそう)、蜀の劉備(りゅうび)、呉の孫権(そんけん)である。
彼らがそれぞれに「皇帝」を名乗って「三国」が並び立った状態が、だいたい40年(西暦220年~263年)続いた(※ただし、実際に魏を建国したのは、曹丕〈そうひ〉)。
世界史の教科書には「三国時代は魏・呉・蜀の三国が分立した220年~280年の60年間」と書いてあるが、厳密にいえば蜀は263年に滅亡して三国ではなくなってしまうから、40年ぐらいと考えたほうがいい。
ともあれ、これは中国の歴史としては初めて訪れた異様な時代だった。中国のトップといえば皇帝である。本来、皇帝は世界に一人しか存在してはいけないという概念があった。
秦の始皇帝しかり、漢の劉邦しかりである。後世の隋・唐・明でも皇帝は一人だけだ。ラストエンペラー、溥儀(ふぎ)が退位して清が滅びたのを見ても分かるように、皇帝とは唯一無二の存在だった。
その皇帝が三人も現れたのだから、いかに異様であったか。逆に後世の人間から見れば、それこそが面白いということになる。
2つの「三国志」と、個性ある人物たち
三国志には大きく分けて主に2種類がある。『三国志』は3世紀に書かれた歴史書(正史)だが、それから約1000年後に小説『三国志演義』が登場した。
一般に「三国志」といえば後者の「演義」だ。小説とはいえ「七実三虚」という割合で史実が7割の比率を占める、リアリティのある読み物として広まっている。
正史・小説にかかわらず、三国志の面白さは、個性豊かな登場人物たちが多く、それぞれが魅力を持っている点であろう。
たとえば軍師の代名詞、諸葛亮(孔明)は「三日で十万本の矢を用意します」と公言し、本当に揃えてみせる場面がある。
美しいヒゲを生やした武将、関羽(かんう)関羽は敵将の首をはねて戻ってきたとき、出陣前に出された酒がまだ温かかった、という逸話が知られている。彼は後世、横浜中華街などに廟があって「関帝」としてまつられている。それぞれ小説『三国志演義』の名エピソードだが、それと似たようなことが「正史」にも記されている。
また「正史」でも呂布(りょふ)という名将が、遠くに突き立てた矛の先に矢を射当てるエピソードがあるなど、驚かされる描写は少なくない。このように多くの人物がそれぞれに個性を発揮し、物語を形づくるのである。