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「三河一向一揆」勃発は家康の挑発によるものだった?

史記から読む徳川家康⑧


2月26日(日)放送の『どうする家康』第8回「三河一揆でどうする!」では、三河各地で起こった一向一揆に対処する松平家康(まつだいらいえやす/松本潤)の姿が描かれた。相次ぐ家臣の裏切りに困惑する家康は、一向宗(いこうしゅう)の側に思いもかけない軍師がいることを知る。


 

相次ぐ家臣の裏切りを招いた三河一向一揆

愛知県豊田市にある上野城址。松平家家臣の酒井忠尚が城主を務めた。別名は上野上村城。忠尚は三河一向一揆の際に、この城に立てこもって家康と戦っている。この地から約300㍍南にある上野下村城は、徳川四天王のひとりである榊原康政の生誕地とされている。

 松平家康による強引な年貢米の徴収に激怒した一向宗徒は、周囲の一向宗寺院に呼びかけ、一斉に蜂起した。

 

 呼びかけに応じたのは僧侶だけではない。窮乏(きゅうぼう)にあえぐ領民や、一向宗に帰依する松平家家臣も同様だった。家臣たちは皆、同じ家中の者同士の殺し合いになる上、寺院の侵攻とあって気が重い様子だ。士気の低い松平軍に比べ、一向宗側は戦慣れをしていない百姓や子どもが大勢加わっているにもかかわらず、互角以上の戦いぶりを見せた。一向宗の背後には優秀な軍師がいるのでは、と家臣の酒井忠次(さかいただつぐ/大森南朋)は勘ぐる。

 

 さらに、一向宗とは関わりのない吉良義昭(きらよしあき/矢島健一)や松平昌久(まつだいらまさひさ/角田晃広)ら家康と対立する武士勢も、この混乱に乗じて三河を切り取ろうと一向宗と連携し、家康の家臣を離反させようと奔走する。こうして戦の火種は三河国全体に飛び火し、大規模な内乱状態となった。

 

 事態の好転しない様子を見て、家康は忍び集団を束ねる服部半蔵(はっとりはんぞう/山田孝之)に密命を与えて本證寺へ潜入させた上、自ら出陣。土屋長吉重治(つちやちょうきちしげはる/田村健太郎)の先導で本證寺に攻め入る。主君を見て怯(ひる)んだ門徒らが一斉に逃げ出し、閑散とした寺内に入ると、家康は待ち構えていた狙撃手により銃撃された。

 

 倒れた家康は、その首を狙う一向宗徒に取り囲まれる。絶体絶命の窮地を救ったのは長吉だった。熱心な一向宗徒だったが身を挺して家康を守った長吉は、罠にはめたことを家康に詫びる。さらに、まだ身近な家臣のなかに裏切り者がいることを言い残し、死んでいった。

 

 誰が裏切り者か、疑心暗鬼にかられる家康のもとに半蔵が戻った。半蔵は一向宗側の軍師の正体は、家臣の本多正信(ほんだまさのぶ/松山ケンイチ)であると告げる。家康は呆然と立ち尽くし、言葉を失ったのだった。

 

三河は一向宗の有力な地盤だった

 

 三河一向一揆が勃発したのは、1563(永禄6)年の秋だった。

 

『三河後風土記』によれば「不思議の一揆起り、三河の国中年を越えて、大いに騒動す」と記されている。〝不思議〟というのは、仏の智慧(ちえ)や悟りの境地を指すとされ、浄土真宗の名号「南無不可思議光如来」に掛けたものらしい。

 

 そもそも一向宗とは、親鸞(しんらん)を開祖とする浄土真宗の別名である。

 

「一向」には「ただひたすらに」という意味がある。ひたすらに阿弥陀仏を念じる、すなわち「一向専念無量寿仏」が一向宗の基本的な教えとされる。

 

 三河(現在の愛知県東部)における一向宗は、1232(貞永元)年に親鸞が布教したのが最初といわれ、1446(文安3)年に蓮如(れんにょ)が三河にやってきて布教活動を行なったことで急速に普及したという。蓮如は父の死去に伴い、1457(長禄元)年に本願寺8代目法主を継承した人物で、浄土真宗の発展に大きく寄与した。

 

 蓮如が法主となってまもなく、加賀国(現在の石川県の一部)に「百姓の持ちたる国」と称される一向宗支配の独立国家が建設されている。1546(天文15)年には、三河、特に松平家の居城である岡崎城(愛知県岡崎市)のある三河国西部が、北陸や近畿にならぶ一向宗の有力な地盤となっていたようだ。

 

 そのため、松平家配下の三河武士団の門徒はかなりの数にのぼったと考えられている。なかでも石川氏は蓮如の要請により下野(しもつけ/現在の栃木県)から三河にやってきたといわれる生粋の門徒で、事実、家康の重臣である石川数正(いしかわかずまさ)の父・石川康正(やすまさ)は三河一向一揆の際に一揆に味方して総大将を務めたとされる(一説には、この時期には死去していたとも)。もっとも、子の数正は家康方の姿勢を堅持している。

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過去記事

小野 雅彦おの まさひこ

秋田県出身。戦国時代や幕末など、日本史にまつわる記事を中心に雑誌やムックなどで執筆。著書に『なぜ家康の家臣団は最強組織になったのか 徳川幕府に学ぶ絶対勝てる組織論』(竹書房新書)、執筆協力『キッズペディア 歴史館』(小学館/2020)などがある。

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