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戦場の第一線に立ち続けた「徳川十六将」

学び直す「家康」⑭

■数々の武勇伝が残る十六将

 

 松平康忠(まつだいらやすただ)は長沢松平8代当主である。家康の従弟であり義弟にも当たる。家康の嫡男・信康を補佐する老職を務めたが、信康事件後は蟄居(ちっきょ)した。だが、本能寺の変後の伊賀越え、小牧・長久手の戦いなど家康にとって「賭け」ともいえる出来事・合戦には参加している。

 

 大久保忠世(おおくぼただよ)は、松平氏譜代の名門・大久保家を継承した忠員(ただかず)の嫡男。「武辺無双。大力は本多平八郎にも劣らない」とされた典型的な戦国武将である。徳川鉄砲隊を率いて戦ったのが、永禄3年の長篠・設楽ヶ原合戦。反面、貧しかった頃の本多正信に妻に作らせた小袖を与えてやるほどの思い遣り深い一面もあった。

 

 鳥居直忠(とりいなおただ/忠広)は、鳥居元忠の弟。駿河一向一揆では、家康に敵対したが、一揆の終息後は再び家康に帰参した。姉川合戦で徳川軍の先鋒を務めるなど活躍したが、信玄との三方ヶ原合戦で、家康を浜松城に戻させるため、武田の猛将・土屋昌続(まさつぐ)と一騎打ちをして、討ち死にした。

 

 大久保忠佐(おおくぼただすけ)は忠世の次弟。家康の父・松平広忠、家康に仕えた。長篠・設楽ヶ原合戦では、徳川の鉄砲隊を率いて武功を上げた。家康の合戦のほとんどに参戦したが、生涯に1つの掠(かす)り傷もなかったという。

 

 高木清秀(たかぎきよひで)は、家康の叔父・水野信元や織田信長に仕えた後に、天正10年10月、天正壬午の戦いに先立って家康に臣従した。武勇に優れていたからこその十六神将であった。

 

 蜂屋貞次(はちやさだつぐ)は、桶狭間合戦の際の丸根城攻めが初陣。永禄7年、三河一向一揆が鎮定すると、家康は三河平定の一環で吉田城を攻めた。その際に、貞次は刀を振るって敵兵の中に飛び込み何人かを斬り伏せたが、直後に眉間を銃弾に撃たれた。26歳の見事な討ち死にであったという。

 

 服部正成(はっとりまさなり)は伊賀忍者の統領として知られるが、武将としては渡辺半蔵(わたなべはんぞう)と並んで鑓(やり)の名手であり「鬼の半蔵」の異名を取る。16歳の初陣から本能寺の変後の伊賀越えなどに功があった。慶長元年に55歳で病死。江戸の「半蔵門」にその名前が残る。

 

監修・文/江宮隆之

(『歴史人』2022年8月号「徳川家康 天下人への決断」より

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