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なぜ今、家康なのか?【後編】

学び直したい「家康」②

『六韜』『三略』は『孫子』などと同じく兵法書なので、武将として必読文献といった印象はあるが、『貞観政要』は、唐の太宗(たいそう)が群臣と政治上の得失を論じた際の言葉を集録したもので、いわば太宗の政治論が集約されたもので、政治論書である。

 

 また、大御所になったあと、駿府城内に駿河文庫という私設図書館を設けているが、その蔵書をみると、漢籍では『史記』、和書では『日本書紀』『続日本紀』『源平盛衰記』などの歴史書が目立つ。家康は『吾妻鏡』を愛読していたことが知られているが、歴史書をよく読んでいたことがうかがわれる。

 

 家康のすごいところ、それは家康の人間的魅力ということになるが、さらに注目すべきはそれらの本を、自分が一人で読むだけではなく、多くの人に読んでもらうべく、印刷している点である。家康がなぜ出版事業を推進しようとしたのかについて『徳川実紀』は次のように記している。

 

 人倫の道明かならざるより、をのづから世も乱れ国も治まらずして騒乱やむ時なし。この道理をさとししらんとならば、書籍より外にはなし。書籍を刊行して世に伝へんは仁政の第一なり。

 

 戦国争乱に終止符を打つための方策をいろいろ考えていた家康がたどりついた一つが文治(ぶんち)政治で、その柱が出版事業だったわけである。家康の出版事業は、「伏見版」と「駿河版」の2つがあり、「伏見版」は慶長4年(1599)から同11年にかけて、京都の伏見で印刷させたもので、『孔子家語』『貞観政要』『周易(しゅうえき)』『東鑑』などがあった。この『東鑑』は家康の愛読書だった『吾妻鏡』のことである。

 

 将軍職を秀忠に譲ったあと、駿府城に移った家康が慶長12年以後、駿府で印刷をはじめたのが「駿河版」で、『大蔵一覧集』と『群書治要(ぐんしょちよう)』があった。

 

 『大蔵一覧集』は仏典の中から最も必要な部分を抜粋して編集したもので、『群書治要』は、唐の太宗が魏徴(ぎちょう)らに命じて、群書の中から政治上の要諦を抜粋させたもので、家康は武断政治から文治政治への切り替えを進めようとし、それが実を結び、「徳川の平和」が260年続くことになったわけである。

 

監修・文/小和田哲男

(『歴史人』2022年8月号「徳川家康 天下人への決断」より

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