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写真も絵も残っていない古代の建造物・平城宮跡 第一次「大極殿」再現の難しさとは!?

[入門]古墳と文献史学から読み解く!大王・豪族の古代史 #064


歴史学の究極の目的は「史実を再現して広く理解すること」にある。そういった再現力も歴史研究者には求められるが、実際、土中に埋まっていた遺構からどんな建物=上物(うわもの)が建っていたのか。それらを再現するのは難しいのか? そうでもないのか? 探っていこう。


 

■後世の研究で大極殿に星は無かったと判明すれば撤去の予定

平城宮跡第1次大極殿 唯一現存する法隆寺の金堂を手本に、これまでの研究論文の集大成のような再現がなされた。撮影/柏木宏之

 古代の遺跡調査で建物跡の遺構が出てくると、どんな物が建っていたのか想像したくなります。

 

 建てられていた構造物を「上物(うわもの)」と呼びますが、その時代の写真はもちろん、写実的な絵もありません。それでも研究者は現代の私たちに「こんな建物だったでしょう」と示さなくてはならないのです。なぜかというと、歴史学の究極の目的は「史実を再現して広く理解すること」にあるからです。

 

 遺構調査から考えられる建物を復元して、さらに街並みを再現して景観を理解し、その時代をリアルに感じて歴史を実感する……。そういった再現力も歴史研究者には求められます。

 

 ただ研究と調査の結果、推定される上物(建物)については百論百出でその意見の最大公約数的なデザインが採用されることがよくあります。

平城京の大極殿にあったのか無かったのかが不明とされる大屋根中央の「星」 。撮影柏木宏之

 例えば、奈良県の平城宮跡に再建された第1次「大極殿」(だいごくでん)は立派で平城宮の華やかさを彷彿とさせるものですが、大屋根の中央に輝く「星」に関しては賛否両論で大揉めに揉めたそうです。

 

 再現は調査から50年もかけて慎重に検討されていますし、あの大極殿は世界中の論文の集大成のような建物だといわれています。

 

 あの大極殿の大屋根中央に輝く星は北極星の象徴で、真下にある高御座(たかみくら)につながっています。

 

 つまり玉座に南を向いて座る天皇に直接つながる天帝の象徴で、確かに中国の大極殿にはその例があるようですが、はたして平城宮の大極殿にそのまま踏襲されていたかどうかについては証拠が一切ありません。

 

 こんな時に考古学者はどう考えるか?というと・・・。

 

「証拠はないが中国の文献を参考に再現しておこう。しかし、後世の研究で日本の大極殿に星は無かったということが判明すれば、すぐに撤去しよう。」

 

 と考えて、あの「星」はいつでも撤去できるように設置されているのです。

高御座中央に玉座がある。大屋根の星の真下にありつながっている。撮影/柏木宏之

 考古学の保存・修復の基本は「可逆性」です。

 

「一応修復をするが、まちがいだったことが判明した時に直ちに元の破損状態に戻せることが条件である」

 

 ということなのです。

 

 この考えは、フェノロサや岡倉天心(おかくらてんしん)の時代から続いている、高い見識に基づくものです。遺跡から推測される建物を再現するときにも同じ価値観と手法が基本となるのです。

 

 謎が解明できたと思うのも束の間、さらなる疑問を調査結果は投げかけてきます。

 

 歴史ファンの興味は尽きませんね!

 

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柏木 宏之(かしわぎ ひろゆき)
柏木 宏之かしわぎ ひろゆき

1958年生まれ。関西外国語大学スペイン語学科卒業。1983年から2023年まで放送アナウンサー、ニュース、演芸、バラエティ、情報、ワイドショー、ラジオパーソナリティ、歴史番組を数多く担当。現在はフリーアナウンサーと同時に武庫川学院文学部非常勤講師を務め、社会人歴史研究会「まほろば総研」を主宰。2010年、奈良大学通信教育部文化財歴史学科卒業学芸員資格取得。専門分野は古代史。歴史物語を執筆中。

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