今川氏真が直面した領国経営の「選択」と「集中」
武将に学ぶ「しくじり」と「教訓」 第4回
■体制立て直しに重要となる選択と集中

駿河の守護大名であり、義元の祖父にあたる今川義忠(よしただ)が、家臣の朝比奈泰煕(あさひなやすひろ)に命じて築城したといわれる掛川城。写真は復元天守で、掛川市民の熱意により平成6年に復元を果たした。
今川氏真(いまがわうじざね)と聞くと、父の今川義元(よしもと)から継承した今川家を滅ぼした、無能な二代目というイメージが強いかと思います。
一般的に、短歌や蹴鞠などの公家文化に溺れ、領国経営を顧みなかった事が原因だと思われているのではないでしょうか。
実際、氏真は、父や重臣たちが亡くなり今川家中が揺らぐ中、領国を維持するために積極的に行動しています。また、今川家当主として、外交や経済対策、インフラ整備など必要な手を打っています。
氏真は、義元が残した遺産を活用しながら、現代でいう事業再生を懸命に進めていったのです。
しかし、領国内の動揺を抑えきれず徳川家康(松平元康)が独立し、三河・遠江(とおとうみ)の国人たちの離反が相次いで起こります。
また、その様子を眺めていた同盟者である武田信玄も食指を伸ばしてきました。この状況を招いた原因は、限られた資源の「選択」と「集中」の判断の難しさにあります。
■選択と集中とは?
現代のビジネスにおける選択と集中とは、企業が強みとしている分野や事業に絞って、自社の経営資源を集中投下し、業績の向上や回復を行う施策の事を指します。
好景気の時代に、色々な分野に進出し多角化していった中、市場環境や景気の変動によって業績が大きく悪化した企業は多々あります。広範囲の事業に経営資源を分散投資する事で、効果が限定的になり、業績を回復できないまま倒産していった企業も少なくありませんでした。
そういった状況の中、一部の企業は、限られた経営資源を有効活用するために、投資すべき事業や分野を絞り込み、その他の事業を再編や売却によって整理し、業績を回復させました。
選択と集中のメリットは、限られた経営資源を集中投下できる点です。デメリットは、選択の結果として人材の流出が起こる点や、選択すること自体が難しい点です。
氏真は、父義元が拡大した今川家を維持するために、自国の戦力や財力の活用について選択と集中に迫られることになりました。
■甲相駿三国同盟で三河進出に成功した今川義元
今川家は、代々駿河(するが)守護に任じられる有力大名です。しかも、足利家の縁戚であり、「足利が絶えれば吉良(きら)が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ」と言われるほどの名門です。
今川氏親の時に、分国法「今川仮名目録」を制定し、今川家を戦国大名へと導きました。そして、氏親亡き後の家督争いに勝利した義元によって、宿敵であった武田家と同盟します。さらに、長年の同盟関係にある北条家と合わせて、甲相駿三国同盟を結びました。
これで後方の課題を解消し、三河進出に戦力を集中できる環境を作りました。また、家中においては、仮名目録追加21条を制定し、寄親・寄子で結束を固めるなど統制を強化します。
三河も勢力下において、今川家は最大版図を築き、義元は「海道一の弓取り」と呼ばれます。
しかし、さらに勢力拡大を進めようと、尾張へと侵入したところで、織田信長に敗れ、義元が討死してしまいます。同時に多くの有力家臣たちも討ち取られ、今川家は人材難となります。
しかも、北には武田信玄、東には北条氏康が、西には新進気鋭の織田信長がおり、戦国武将ランキング上位に必ず顔を出す強者に囲まれる状況です。
氏真は事業承継と同時に、今川家存亡の危機に直面してしまいます。
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